閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

476 汁で呑む

 お酒…この稿では日本酒に限ることにするが、そのお酒を呑む時には食べものが慾しくなる。さうでもないよと云ふひともゐるだらう。友人の頴娃君はそつちに属してゐて、腰を据ゑて呑みだすと何も食べなくなる。平気なのかなあと不安になるが、その不安は措いて、わたしには要る。とは云へ凝つた肴が慾しいわけではなく、何やらを蒸して焼いてから、炒め煮たあんを掛けたものですと云はれても、そんな細やかを丹念に味はふのは面倒である。最初は面倒でなくても面倒になる。だつたらいきなり簡単な肴でかまはない。

 

 「たとへばお刺身ですかね」

と云はれさうに思ふが、山葵を乗せ、醤油につけてから、口に運ばねばならないお刺身は面倒である。塩焼きの鰯や味噌煮にした鯖の方が好もしく、それでもお箸で毟るのが些か面倒に思ふ。などと云ふと

 「すりやあ、幾らなんでも、無精に過ぎる」

我が親愛なる讀者諸嬢諸氏が眉を顰め、或は肩をすくめる姿が目に浮ぶ。お耻づかしい。併し呑む時は出來るだけ呑むのに集中したいもので、だつたら食べなくてもいいぢやあないのと云ふのは乱暴な態度である。お酒は肴があつてもつと旨くなるのもので、塩か山葵、精々焼海苔があればいいのだと考へる派閥にわたしは属さない。最近の上等なお酒には、その一ぱい乃至一本で完結させたがる傾向を感じることがあつて、感心出來ない…勿体無いなあと思ふ。

 「それあ最初に面倒だの何だの云つたのと矛盾しかねないんではないか」

さう云はれたらさうかも知れないけれど、この稿は何かしらの定義附けを目的にはしてゐない。お酒を樂みながら安直に味はへる、都合のいい肴は無いものかと考へてゐて、實は有力な候補がある。それが粕汁で笑つてはいけない。大根、牛蒡、人参、豆腐、油揚げ、椎茸、里芋、豚肉、鮭、長葱、玉子、蒟蒻。大ぶりなお椀に盛り、分厚い木の匙を添へて出しておけば、一瓢のお酒との組合せに文句は無い。ただ酒粕の出廻る時期でないと樂めないのが大きな難点である。

 「酒粕なんて、いつだつて手に入るだらうに」

と呟くのは誤りで、矢張り新酒の時期に出てくるのが一等うまいし、お酒と同じ藏の酒粕で仕立てた粕汁をあはせるのが理想的なのを思ふと、さう簡単に用意出來るものでない。こまる。併しここで見えるのは、具沢山の汁椀が、どうやら宜しからうといふことで、それなら我われには豚汁がある。いや粕汁の代用の意味で云ふのではなく、年中樂める点では寧ろ粕汁を凌ぐ。味噌を心持ち濃いめにすれば、食事として十分に成り立つし、薩摩汁流儀で骨附きの鶏肉を入れれば、これはもうご馳走である。獸肉がお酒に似合ふのかと訊かれたら、ビフテキは知らず、豚汁(または薩摩汁)なら適ふと応じておきたい。近年の繊細すぎるお酒だと負けて仕舞ふ心配はあるが、それはさういふ銘柄…それがまづいと云ふのではない…を撰ばなければいい。

 

 「うーむ。どうも単調な味になりさうだなあ」

そんな筈はない。たとへば粉山椒、或は七味唐辛子をはらりと振り、生姜をちよいと乗せれば(これくらゐなら面倒ではない)、味はひは豊かに変化するものだし、そもそも大根や牛蒡や豆腐や豚肉が、ひと色の味に染まると思ふ方がをかしいので、単調と思ふのはまちがつてゐる。薩摩汁(または粕汁)を匙で掬ひ、時に骨附き鶏肉を指でつまみながら、盃を傾ければ、夜が満たされるのは疑ひのないところである。もつといいのは、翌朝にちよいと頭が重く感じても、何しろ味噌汁だから、そつちにも期待が出來る。溶き卵を落として韮を散らしたら、そのまま朝酒の肴にもなるにちがひない。

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■画像は下記の農林水産省Webサイトから引用してゐます。

https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/butajiru_kagoshima.html