閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

477 煮玉子を追加して

 普段は進んでラーメンを食べには行かない。そんなら蕎麦や饂飩の方がいいと思ふ。ラーメンがきらひなのではなくもつと単純にどうでも宜しい。併し繰返すときらひではないから偶には食べたくもなる。普段ではないのだから矛盾してゐることにはならない。それで近所の店に行つた。いつもなら日替りの定食にするところをその日は醤油ラーメンにした。それから煮玉子を追加した。どうも煮玉子といふ文字と響きにわたしは弱いらしい。

 目の前に出てきたら以前にも食べたのを思ひ出した。思ひ出したがその時と見た目がちがふ感じがした。後で以前の画像を確めたら青菜が乗つてゐて葱と脂が心持ち少かつた。あれこれ手を掛けたのか偶々さうなのかは判らないけれど手を掛けたと考へる方が気分は宜しい。最初にソップを啜つて漠然とした記憶の一部…具体的には以前に食べた時にどことなく蕎麦つぽいなあと感じたのを思ひ出した。和風と云へるほどはつきりはしてゐないから単なる勘違ひの可能性もある。

 麺はやや細いのか。ラーメン屋ではありきたりだと思ふ。煮豚はあつさりした仕立て。支那竹は細めにしてあつて好みの分かれるところか。刻んだ葱に貝割れ大根と相俟つてぱつと見より遥かにおとなしい味。ちよいと物足りないかと思つたのでれんげに乗せて酢や辣油を垂らしてみたらまづくなつた。一概に断ずるのは避けつつ穏やかといふ点できちんと纏めてゐるのだなと感心した。捉へ方次第では特徴が見えないと云へるかも知れないと思つた。尤もソップまで残さず平らげたのだからその見方は当らないけれども。

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 肝腎の煮玉子である。最初から入つてゐる半箇は冷たくていけなかつた。冷藏庫から取り出して直ぐだつたのか。なので追加の煮玉子は後廻しにした。この追加分が丸々一箇をそのまま入れたのも感心しなかつた。半分に割つて黄身を見せてくれればよかつたのに。さういふ不満を覚えつつも煮玉子自体は確かにうまかつた。ラーメン同様の穏やかな味附けで甘味噌でも添へればそのまま麦酒のつまみにもなりさうな感じがした。次の機会に我が儘が通れば煮玉子で麦酒を引つ掛けてから醤油ラーメンをやつつけたいものだ。