閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

486 カーテン・コール

 独りで呑みに行くのに躊躇ひを感じない。小さなお店の暖簾(があれば)をひよいとあけて

 「よ御坐んすか」

さう聲を掛けて、どうぞと云はれたら、隅の方に坐る。乃至立つ。それでたとへば金魚を下さいなど註文をすればよい。金魚は大葉と唐辛子をあしらつた焼酎ハイの一種。お代りをすると、唐辛子がひとつ、増える。金魚が三匹、グラスを泳ぐ頃、唐辛子がゆつくり効き目をあらはしてくる。かういふ呑み方は滅多にしないけれども。

 滅多にしないのは、つまみにあはせて様々の酒精を樂みたいからである。そこで一軒の呑み屋ではゆるゆると異なる種類を三杯呑むことにしてゐる。様々と云つても、シェリーを呑んでお代りをヰスキィにするやうな眞似はしない。味はひの流れが崩れると、つまみがまづくなる。嬉しくない。かう書くと丸太が三杯で収まるものかよと疑念を抱かれるだらうが、またその反論はかなり六づかしくもあるのだが、決めておくと、呑む順番をある程度、定められる。

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 軽やかであつさりしたのから、濃醇なのへ移るのが矢張り基本…常道でせうな。呑めば醉ふのだもの。ただそれを金科玉条にする必要はない。今夜はずつしりしたので樂みたいと考へるのも、さはやかなので口を洗はうと思ふのも、その日の喉の渇き具合や腹の調子、舌の塩梅、空模様に湿気、陽射しの様子に風の吹き様、さういつたあれこれがややこしく絡み合ふからで、その結果、いきなり山廃系統の濃いお酒から入つても不思議ではないし、をかしくもない。

 ここで問題になるのは独りで呑んでゐても、どうかすると隣のひとと話が始まることで、過日はお酒好きの美女とさうなつた。それ自体はまことに喜ばしかつたのだが、間の惡いことに、こちらは既に二杯めを干し(神経質な讀者諸嬢諸氏の為に云へば、最初は[東洋美人 澱からみ]、次が[旦 夏純米吟醸])、三杯めを味はつてゐるところだつた。くだんの美女は見たところ焼酎好みらしく、呑んでゐる何とかといふ銘柄を酒屋のサイトで見つけ、案外廉ですよねと見せてくる。一升壜で三千円くらゐだつたから確かに廉で、買ふお積りですかと訊ねると、ラベルの色ちがひがあつて、そつちの方が美味しかつたと教へて呉れた。美女は親切でもある。併しさういふ話をしてゐるうちに、三杯めが空いて仕舞ふ。さ。ここでどうするか。わたしが信念の堅い男だつたら

 (それはそれ、これはこれである)

と原則を貫くところだが、美女と信念を較べれば、美女を優先するのがわたしであつて、詰りお代りを呑む。そこでこの場合、興味と共に自分への理窟を附ける為に、彼女が呑んでゐる焼酎を註文する。

 「あの焼酎が気になるのだ」

と(事實ではあつても順番は後ろである)名目を立てておかうとするので、どうです、名案でせう。この手は外の店でも使へる。最初と眞ん中と最後に續く云はばカーテン・コールの一ぱいだから、甘からうが辛からうが苦からうが、味はひの流れは考慮しなくて宜しい。但し二度めの茶番と呼ばれない為にも締め括りの気分に相応しくあつてはもらひたい。そこで参考までに云ふと、そのカーテン・コールは美味いものでした。流石美女の推奨は信頼に値する。