閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

498 好きな唄の話~元祿名槍譜 俵星玄蕃

 日本人はどうして忠臣藏を甚だしく好むのだらう。その疑問に、丸谷才一は"御霊信仰"と"カーニヴァル"といふ一見よく判らない組合せで、併し鮮やかな解を示した。詳しいところは『忠臣藏とは何か』をご一讀あれ。納得するかどうかは別として、何故を突き詰めてゆく面白さを堪能出來るのは、わたしが保證する。同じ著者の手になる『鳥の歌』を併せて讀めばもつといい。勿論深々と入り込まなくても、忠臣藏説話は樂める。説話とはさういふものでせう。とは云へ歌舞伎に足を運ぶのは躊躇はれる。役者にすれぱ不本意にちがひないが、あの舞台は娯樂…カーニヴァルから藝術に成り下がつて仕舞つた。

 

 さういふ躊躇を感じた時にこの唄はいい。"御霊信仰"も藝術への気後れも感じず、元祿十五年師走十四日、即ち忠臣藏の討入りに醉へる。

 

 唄と書いたが併しそれは本当だらうか。實に十分にも及ぶ語りと唄は名優の競演のやうに雄渾で美々しい。双方は相半ばし、互ひを引立て…これを簡単に唄と呼ぶには勇気が要るけれど、語り唄として成り立つてゐるとは云へる。もつと思ひ切つて、この語り唄から物語の性格をうんと薄めたのが、現代の日本語ラップではないかと云ひたくなつてくる。丸谷式の検証はしてゐないから、信用されるのは困るし、こんなことを云ふと、我が若い讀者諸嬢諸氏から

 「今さら忠臣藏なんて、たれも知りやしないさ」

と冷やかな笑ひを浴びせられる可能性もある。こつちだつて忠臣藏も浪曲も専門ではないから、さう云はれたらさうかもなあと思ふ。ただその一方で浪曲演歌でもラップでもロックでも、唄はたれかに聴かれて初めて唄になるのだから、衣裳を変へつつも残る根つ子或は背骨と呼べる部分は共通してゐるんぢやあないなあとも思へてくる。

 いやそんなややこしいことはかまふまい。語り續け唄ひ續ける三波春夫は、最初から最後まで背筋も聲も乱れる気配すら感じさせず(弟子筋の島津亜矢も美事に語り唄ふが、安定感は師に今のところ届いてゐない気がする)、その姿は古風でまことに恰好よい。これを十分間の独り劇と呼んでも大袈裟ではなく、後は古典藝能などといふ狭苦しい枠に押し込められないことを祈りたい。