閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

505 好きの話は六づかしい

 世界史を俯瞰して、何となく好きなひとをひとり挙げませんかと訊かれたら、わたしは多分、カエサルの名前を出す。洋の東西を問はず、尊称が個人と結びつく例は、三藏(玄奘三藏)や大師(弘法大師)で見られるけれど、苗字が個人を指し示す例は少ないと思ふ。ここで念を押すとカエサルのフル・ネイムはガイウス・ユリウス・カエサル共和制ローマの名前は個人名 + 一門名 + 家門名で構成される。この場合はユリウス一門に属するカエサル家のガイウス君となる。我が國なら、源姓に属する武田家の晴信と云へばいいか。尤も後の信玄入道を単に武田とは呼ばない。

 ガイウスはある時期のローマではごくありふれた…広場で遊ぶ子供たちに、おおいガイウスと呼び掛けたら、きつと何人かは振り向くくらゐの…名前だつた。そこでどうやら、渾名を重く視た気配がある。大スキピオの"アフリカヌス"を代表にしませうか。"アフリカの征服者"くらゐの意味。廿年に渡つてローマに苦汁を飲ませ續けたカルタゴの勇将ハンニバルを、ザマの會戰でほぼ完璧に打ち破つた名将に相応しい渾名である。さういふ渾名を奉られるには逸話なり何なりの切つ掛けが必要で、ガイウス君のご先祖にはそれがあつた。カエサルは象の意味らしく、ご先祖のひとりにあの巨きな生き物を退治した伝説がある。ハンニバルが連れてきた戰象と関係があるのかどうか。

 

 眞偽はさて措き、象の家のガイウスはまことに面白い時代の若ものであつた。かれが世に出る前のローマはルキウス・コルネリウス・スッラとガイウス・マリウスの政争と戰争が凄まじかつた。わたしは血腥い話がきらひなのでそこは省略するが、簡単に云へば貴族…パトリキによる寡頭制(スッラ)を推し進めたい一派と、民衆の懐具合を受け容れるぞ(マリウス)といふ一派の対立で、ガイウス少年は後者に属してゐた。本人がさうすると決めたのではなく、血縁でさうなつて仕舞つたと見るのが正しい。併し勝利を収めたのは貴族派即ちスッラで、仕方がないから書くけれど、スッラによるマリウス派の大粛清があつた。命も財産も根こそぎ刈り取るやうな粛清だつたのだが、二千年余り前の話である。良し惡しを八釜しくは云ふまい。但しカエサル家の青年にとつては、現實の危険であつた。ギリシアまで逃げたのがその證である。

 ところがギリシアで引きこもらなかつたのが、ガイウス青年の愉快な点で、現地の軍に潜り込んだり、海賊の人質になつたり、後日その海賊を縛り首にしたり、眞偽は明かではないが男色を樂んだ噂もある。男性の同性愛は地中海人の嗜みの一面があつたから(かういふ箍の弛さは江戸期までの本邦とよく似てゐる)、事實でもかれの不名誉にはならない。ごく大雑把要に"亡命"生活といふ言葉から聯想される陰惨さは欠片も感じられず、寧ろギリシアを満喫してゐたらしい。派手好みの女好き、お金の遣ひ方も花やかな、要は遊蕩児といふのがかれの評価で、ローマに戻つてからは更に莫大な借金でも名を馳せた。何人もの愛人に豪奢な贈り物をしたからといふし、それで借金が余りに膨らんだので、債権者は寧ろかれを護らうとしたと聞けば、同性としては、こりやあ大物ぢやあないか、と手を拍ちたくなつてくる。

 

 その一方、ほぼ十年を掛けてガリアを征服し、ルビコンを渡つた後は、スッラの愛弟子ポンペイウス・マーニュス…軍事に限ると或はカエサルより優れてゐたかも知れない…に完勝する放れ業までやつてのけた。兵隊がついてきたからだよとは云へるが、兵隊がついてゆきたくなる大将だつたのだとも云へる。有能で勇敢な指揮官であり、余程に魅力的な人がらだつたのだらう。そこで逸話をひとつ思ひ出した。ローマ軍人最大の栄誉である戰勝後の凱旋式で、その途中、兵士は大聲でおらが大将を揶揄ふことが赦されてゐた。将軍カエサルに投げ掛けられたのは

 「ローマの男どもよ、妻を隠せ!」

 「禿の女たらしのお通りだ!」

流石の凱旋将軍も、すりやあないだらうと抗議はしたが、処罰もする筈もなく、それより桂冠を日常でも使へる特権を大きに喜んだともいふ。何しろ禿かくしになるから。それで桂冠を被つて得意気な大将を見た兵隊…親分の指揮に従へぱ大丈夫だと考へ、その親分を支へるのはおれたちだとも信じてゐ連中は、改めておれたちの大将を誇らしく思つたにちがひなく、でなければ"禿の女たらし"に何年も従へはすまい。詰り強烈に英雄的な人物。

 

 併し世界史をざつと眺めれば、英雄と呼べる人物を何人か思へはしても、兵からの揶揄ひに寛容であつたのは、この男くらゐではなかつたか。カエサル以前の強烈に英雄的な人物と云へばマケドニアアレクサンドロス三世だが、あの早逝した若ものには、戰の豊かな才能以外の持合せがなかつた。砂漠で兵士が何とか用意した水を投げ捨て、兵と共に渇くことを望むと云ひ放つたのは感動的な逸話ではあつても(似た話はローマにとつての惡夢であるハンニバルにもある)、そもそもカエサルなら兵と共に渇かぬ配慮をしたかと思ふと、わたしでも大将にはカエサルを撰びたい。第一あの大王相手に冗談を云つたら(チンギス・ハンやナポレオン・ボナパルトでも)、その場で首を刎ねられさうな感じがする。

 翻つて本邦の歴史を見ると、思想の面で空海は挙げられるとして、軍人や政治家で英雄と呼びたくなる強烈な人物は見当らない。織田信長が本能寺で自害してゐなければ、もしかするとそれに近くなつたかも知れず…いや望みはうすいか。羽柴秀吉もひと蕩しは名人藝だつたらしいし、備州からの大返しを見ると政略戰略眼は第一級だとも思へるが、英雄かと訊かれれば違和感を覚える。この辺は文明の土壌成がちがふとしか云へない。古代の中國に助けを請へば劉邦には好感を抱けるとして、如何せんかれは無能だつた。阿仁イをどうにかせにやあなるまいと思はせた人がらはあの國の歴史上、稀有な例外…某作家曰く、共産党政権を含む中國の歴代王朝は基本的に"大盗賊の親玉"が作つたといふ。盗賊の首領なら本來無能は許されまい…とは云へる。

 

 そんな風に考へを進めると、象の家のガイウス君…後にその象はイタリー男子の名前であるチェーザレ(ほら毒藥で名高いボルジア家の若もの)になり、"皇帝"を意味するドイツ語のカイザーになり、ロシヤ語のツァーリにもなつた…は、軍政共に有能であり(ガリア戰役での対ヴェルチンジェトリクスと内戰時の対ポンペイウスはどちらも軍政家としてほぼパーフェクトだつた)、名文家でもあり、そのくせ女好きであり、借金を屁とも思はず、禿を気にしつつ、悲劇的な最期を遂げた男である。序でに云へばかれが抱いてゐただらう理想は、死の前に迎へた養子即ちアウグストゥス…有能だが陰気で病弱な少年…によつて、不完全ながらも實現する。小説でこんな人物を描いてみなさい、間違ひなく編輯者から、リアリティに欠けるとその場で没を喰らふ。それでもカエサルは世界史の中に屹立した實在の巨人であつて、然も長所と欠点が複雑に絡んだ男である。その複雑さ…長短所の乱反射…がわたしを惹きつけるのかと思つて書いてみたのだが、書く内にどうもそれはちがふらしいと感じられてきた。ぢやあ何がどうちがふと感じたのか、書きながらなら解つてくるかと思つて、逸話を挙げ、そこから聯想される別の人物と較べても、かれの複雑な乱反射の一面しか拾へなかつた。当り前と云へば当り前なのだが、ああいふタイプを語らうとするの矢張りわたしの手には負へなかつた。好きを話すのは六づかしい。本当に六づかしい。