閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

530 ごく当り前の

 糵または萌やしとも書くが、この稿では馴染みのあるもやしで通す。現代では大豆と緑豆、それからブラックマッペから生育…栽培されるさうで、成長がはやく、通年育つ分、マーケットに廉価で出廻るのだといふ。確かにひと袋(二百グラムとかそれくらゐ)で、卅円とか廿円だからね。

 わたしの場合、蒸すことが多い。細切れ肉でもソーセイジでも埋めて、水、出汁、ソップ、まあ何だつてかまはない。取敢ずは蒸す。醤油でもぽん酢でもウスター・ソースやマヨネィーズでも垂らして食べる。まことに安直でいい。魚で試したことはないが、鱈や鮭でホイル焼きが出來るのだから、もやしで蒸してもまづくはなるまい。

 とは云へ、もやしが本領を發揮するのは矢張り、炒めものでせうね。強い火で素早く炒めあげられたもやしの歯触りときたら、何とも云へず嬉しいものではありませんか。韮や玉葱とあはせれば、もつと嬉しく、肉の脂が加はつたらもう、文句を附ける余地は無くなつて、詰り画像がそれに当る。

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 口惡く云へば、何といふことのない"豚肉ともやしの炒めもの"である。併し何といふこともないのだからうまいとも云へて、どうです、反論しにくいでせう。

 この手の炒めものは、下品かなと思へる程度に濃い味附けが似合ふ。塩胡椒で品よく仕立てる方がいいと思ふひともゐても不思議ではないし、上手が料れば旨からうとは思ふが、原則としてわたしはそちらに与さない。ここは好みの話でもあるから、深く踏み込むのは控へます。批評は中庸をもつて善しとなす。

 問題はもやしにつき纏ふ安直廉価の印象。乱暴に云へば、なんだ(ただの)もやしぢやあないかと思はれることが、少からずあるのではないか。料る側にすると、實に迷惑な話にちがひない。わたしが台所に立つてゐて、さういふことを云はれたらきつと、腹立たしく感じるだらう。

 尤もここで、画像の"豚肉ともやしの炒めもの"を註文した背景には、そんな事情がある…と續けたら嘘になる。ややこしいことは抜きに、旨さうだと思つたから食べた。期待より少し計りおとなしく思へたから、酢をちよつぴり加へた。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏は意外に感じるかも知れないが、それで味がぐつとこんがらがつて旨くなつた。一ぺん、ごく上等のもやしと豚肉と韮、それなら種々の調味料(勿論、塩も胡椒も醤油も酢も)で作つたら、どうなるだらう。当り前ぢやあないよと、不満が洩れるかも知れない。