閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

533 曖昧映画館~レッド・オクトーバーを追え!

 記憶に残る映画を記憶のまま、曖昧に書く。

 

 先日…令和二年十月晦日ショーン・コネリーが亡くなつたといふ報せを目にした。古参の映画好きにとつては、英國スパイ、ジェイムズ・ボンドと思ふが、わたしはロジャー・ムーアのボンド世代である。記憶にあるコネリーは、『アンタッチャブル』に登場したアイリッシュの警察官や、"インディアナ・ジョーンズ"での主人公の父親、或はオリエント急行の乗客である大佐といふ、主役ではないけれども大切な役柄を巧妙にこなした姿で、それを

 「無闇に恰好よくて品のある禿の爺」

と…いやもつと短く名優と纏めたつてかまはない。日本の俳優にも、無闇に恰好いいひと、品のあるひと、禿も爺もゐるけれども、全部を兼ねたひとは絶無ではあるまいか。

 まあ、それはいい。

 ソヴェトがまだ國家だつた頃、新型の原子力潜水艦が完成した。無音で推進し、ソナーで探知出來ないほどの静粛さを誇る艦の名はレッド・オクトーバー。その新鋭艦の艦長が世界のサブマリナーから尊敬されるマルコ・ラミウス大佐、即ちショーン・コネリーである。ソヴェトの体制に疑念と不満を持つてゐたラミウスにとつて、艦長就任は素晴しいチャンスであつた。何のチャンスか。云ふまでもなく、西側への亡命である。静音システムを使へば、ソヴェトの厳重な監視網を潜り抜けられるだらうし、何より乗り組むのはひとりを除くと子飼ひの部下である。覚悟を決めたラミウスと部下は、自ら退路を断つて出航する。

 我われにはとつて判りにくいのだが、ソヴェトには政治将校といふ地位乃至立場があつた。大雑把に云つて、政府の廻し者。相応に権限を持つてゐて、現實的な評価は兎も角、かういふ映画では大体が惡役、厄介者扱ひされる。レッド・オクトーバーにも勿論、政治将校が乗艦してゐる。ラミウスにとつては、子飼ひの中の異分子。どうにかしなくては、亡命の計劃に齟齬が生じる。そこで大佐はどうにかした。詰り、殺害。そこはいい。いいのだが、映画として話が成り立つのか知らと不安を感じて仕舞ふ。

 ラミウスは併し、亡命計劃の肝腎なところに目を瞑つてゐた。どの國にも、たれにも、自分の腹の底を打明てゐなかつたのである。西側の賢明なたれかが、きつとその意図を汲み取つてくれるにちがひない。度胸があるといふか、後先を考へてゐないといふか。そこにCIAの分析官、アレック・ボールドウィン演ずるジャック・ライアンが登場する。地上のライアンと海中のラミウス。接点を持たないふたりが、意図を察しあひ、伝へあふ緊張感を、ジョン・マクティアナン監督は、『プレデター』や『ダイ・ハード』でも見せた藝の細かさ("異なる場所にゐる男たちが相棒になる"のは、『ダイ・ハード』に通じるところがある)で巧妙に描く。果してラミウスとライアンは意志を通じさせ、ソヴェト海軍の目を潜り、レッド・オクトーバーの亡命を成功に導くのか。

 などと煽る必要までもない。正義のU.S.A.が惡のU.S.S.R.に敗れるものか。映画はハリウッドの定石通り、スリリングに展開し、落ち着くべき結末に落ち着く。冷やかに云へば、ごく当り前のアメリカ映画だが、その中でラミウス大佐…コネリーの恰好よさが際立つてもゐる。ところでコネリーといへばジェイムズ・ボンド、即ちソヴェトを敵に回した男でもある。英國スパイを引退したかれを、そのソヴェトの軍人に転職させたのは、鮮やかな手並みだつたと思はれてならない。