閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

547 食ろふのが伝統といふもので

 年越し蕎麦の風習はいつ頃、成り立つたのだらう。はつきり書かれてゐるのは十九世紀初頭、大坂の風習を描いた一文らしい。曰く

 

 十二月卅一日、晦日そばとて、皆々そば切を食ろふ。

 

"食ろふ"といふのがいいですな。元々は商人が毎月末、縁起担ぎに食べた蕎麦らしい。尤も源流は更に遡つて、十三世紀半ばの説もある。随分と幅があるもので、その五百年余りでゆつくりと完成したと考へればいいのか。

 ひどく暢気な話だと云ひたくなる。が、現代のやうに物や情報の伝播は速くなかつたし、生活の劇変は好まれなかつただらうと思ふと、妥当な時間であつたかも知れない。

 

 わたしも食べる。冷したどこやらのへぎ蕎麦に近所のマーケットで賣つてゐる握り鮨を添へるのが大晦日のならはし。蕎麦つゆには山葵の効いた"だし(山形風のやつ)"を藥味にする。中々いいものだが、豪勢なのか吝嗇なのか、どうもよく判らない。習慣に疑念を抱くのが間違ひなのだけれど。

 大晦日になると、ニューズの画像やら映像やらで、老舗だらう蕎麦屋で海老の天麩羅を乗せた熱い蕎麦を啜るひとの姿を見掛ける。旨さうだと思ふ。思ひはするが、眞似をしたいかと訊かれたら、どうだらうなと応じて仕舞ふ。いちいち出掛けるのは面倒だし、行つたとしても落ち着かないに決つてゐる。折角の蕎麦を慌ただしく啜るなんて、下層町民の晝めしでもあるまいし。

 

 年越し蕎麦が、食事の面と儀式の面を持つのは、改めるまでもない。まあ儀式の面は甚だ形骸となつてゐるが、だからといつて、いきなり無くすなんて出來ない。それが伝統といふものなので、時代遅れだの何だの、云はれても、我われの現在は、膨大な過去があつて成り立つてゐるのだから、そこから離れるのは、理由もなく、何となくでもなければ、余程に無理がある。

 いや併し、イタリー辺りで大晦日を迎へるとしたら、流石に海老は兎も角、蕎麦と削り節と醤油を全部入手するのは六づかしいから、代案を考へなくてはならない。ナポリタン・スパゲッティに海老フライを"食ろふ"のはどうだらうか。イタリー美人が柳眉を逆立てるかも知れないけれども。

 

 令和二年も年の瀬が、近くなつてきた。

 どこで蕎麦を啜る大晦日になるか知ら。