閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

556 南國人の食べもの

 豚肉をごとごと切つて。
 鍋でごとごと煮上げる。
 それで角煮が出來る。嘘ぢやあない。ごとごと煮る時に何をどのくらゐ用ゐるかが問題ではあるのだが、作り方を煎じ詰めれば、たつた二行に纏まる。
 上手が作つた角煮は本当にうまい。肉と脂がほろほろ、口の中で混る瞬間は、こんなに幸せでいいのかと思ふ。
 下手が作ると旨くない。かさかさした筋つぽいのが歯の間に挟まつて、困つたものだなあと感じさせられる。
 料り方を二行で纏められるといふことは詰り、その間の細やかな…文字にするのが六づかしい…気配りが欠かせないことも意味してゐるのだな。
 ささやかな経験から云へば、角煮は矢張り、薩摩や琉球奄美の料理に馴染んだお店で食べるのがいい。文字にしにくい部分をきちんと味にしてくれてゐる。それに焼酎や泡盛との相性も宜しい。

 南國の料理…調理法なのだらうか。
 併し熱い國で熱い料理を食べたくなるだらうか。

 一体わたしは暑い季節が苦手で、夏は麦酒に素麺かざる蕎麦か冷奴、でなければ冷し中華があれば満足する程度まで食慾が落ちる。熱い肉塊を頬張るのは勿論、煮るのも想像の外にあるから、さう感じるのか知ら。
 少し冷静に考へると、インド人はカレーを食べる。香辛料をがりごり削り、煮たり焼いたりしたやつ。アラビヤでも羊肉と香辛料を巧妙に使ふといふ。成る程。熱い國で熱いものを食べるのは、理に叶つた習慣であるらしい。
 何故だらう。
 矢張り保存ではなからうか。我われが長期保存と聞いて聯想するのは塩や酢に漬けたり、凍らして水分を飛ばしたりだが、南國でその手法は気温や湿度を考へれば無理がある。手早い殺菌には火を通すのが最良だし、香辛料は腐敗を抑へ、食慾を刺戟するのに有用でもある。
 何より手間が少くていい。
 この場合の手間は保存の意味。火を絶やさず、継ぎ足しを繰返せば、相応の期間、食べ續けられる。極端な話だし、保存の視点からいへば、煮込むのより、煮詰めるのが目的だつたのだらうが、インド人もアラビヤ人もその辺は鷹揚にかまへてゐた気がする。

 話を角煮に戻しませう。
 インド渡りアラビヤ渡りの調理法だつたとは思はない。食べものの形としては東坡肉に源流があるとみて、ほぼ間違ひはないもの。もしかすると東坡肉の源流に胡人料理があつたのかも知れないが、そこまでは判らない。
 蘇東坡は十一世紀中頃のひと。日本で云ふと平安の京で藤原氏が大威張りだつた頃、視線を南に向ければ、島津の種が蒔かれた頃になる。地域としての薩摩は、その時期既に奄美琉球とも交易か朝貢の関係があつた。
 さて。気になるのは、東坡肉の伝はり方で、それがさつぱり判らない。大陸から直接、或は琉球奄美を通して入つたとは考へにくい。その経路が無かつたとは云はないが、私貿易程度の小ささではなかつたらうか。本邦から大陸への直接の窓口は北九州だつたのを思ふと、そこから佛教や冩本に紛れて、九州南部に拡まつたものか。

 詮索はさて措き、南國人の嗜好に余程、適つた食べもの…調理法であつたらしい。何しろ二行に収まる。猛々しいもののふの酒宴に似つかはしい。庖丁といふより鉈で、豚を骨ごとごつんと切り、巨きな鐵鍋にはふり込んで、黑糖やらその辺の畑で抜いてきた大根やらもはふり込んで
 「こいはよか匂ひぢや」
 「まつこと、旨さうにごあんど」
肉を喰ひ千切つて、戰場に乗り出した姿はまつたくの想像である。ではあるが、豚肉がかれらの剽悍の背骨を形作り、焼酎が血流になつたと考へるのは、何となく気分が宜しい。

(その精気は源頼朝の開府より早く醸成され、七百年余りを経て明治十年に滅んだ)

 保存食は殆どの場合、保存の為の技術がぐんと変化して…發展とは些か呼びにくい…、保存はどこにいつたと思へる食べものになる。考へられる理由はごく簡単で
 「もつと旨いものを喰ひたい」
といふ慾求があつたからにちがひない。当り前である。幾ら長保ちするにしても、塩つぽ過ぎ、酸つぱ過ぎ、或は火が通りすぎてぱさぱさになつた食べものを、食べ續けるほど、我われは我慢強くない。御先祖だつて同じに決つてゐる。

 さういふ慾求が、ごろごろと煮るだけの(保存)食を、目の前に出てきた時、頬が綻ぶご馳走に変化さした。

 と考へるのは間違ひではない。お漬物にしても、干物にしても、ハムの類にしても、さうであつて、どうして角煮だけが例外になるだらう。焼酎のお供になるのは勿論、もつたりした赤葡萄酒にあはせても旨い。もしかしてウォトカにも適ふかも知れず、妙な云ひ方になるが、広い意味での日本の食べもの(源流の栄冠は蘇東坡のものである)で、これだけグローバルな性格を持つのは稀ではないかとも思ふ。
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 過ぎた晩に味はつた角煮の画像を見て、不意にそんなことを考へてみた。それで南國人がこの食べものに、何かしら思ひ入れがあるものか、気になつたけれど、残念ながら知合ひがゐない。