閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

557 豆腐を炒めて

 中華料理の凄みは、強い焔の使ひ方が巧いことだと思ふ。
 いやこれは印象の話。
 我が親愛なる讀者諸嬢諸氏にもあるでせう。
 最初から最後まで熾き續ける烈しい火にさらされる、あのごろんとした中華鍋の中で跳びまはる青梗菜や烏賊の切身や削いだ筍。
 實に旨さうである。
 實際にうまい。
 意地惡な見方をすれば、強い熱で料らなければ、食べるのが六づかしい條件が諸々あつたとも云へるが、その條件を利用し、或は覆す工夫を産んだのだから、素直に大したものだと感心する方が望ましい態度であらう。
 贅沢な話である。
 強い火を使ふには、頑丈な設備や道具が必要だし、そもそも余程たつぷりの燃料が要る。
 設備や道具だけでなく、調理の技術も含め、ひと揃ひが完成するまで、何百年か何千年か、掛つたにちがひない。
 贅沢な話である。
 いつ頃、完成したのだらう…と考へるのは勿論、無駄であつて、大体から何をもつて中華料理と呼べばいいのか。
 あの膨大な料理群は、東西南北様々な土地の諸々な技法が影響を及ぼしあつた結果と見立てるのがおそらく正確で、ここでは好意的に文明の姿なのだと云つておかう。
 生臭な方向はやめませう。
 我われはただ、中華料理と呼ばれる旨い食べものが色々あるのだ、と理解するに留めておきたい。

 豆腐を炒めた料理がある。
 淮南王の發明とも云はれる豆腐だが、この説は信憑性に欠けるし、實際のところは例によつてよく判らない。
 少くともあの水気たつぷりの食べものを炒めてやらうと考へたのが、大陸のたれかだつたのは間違ひあるまい。
 いや水気たつぷりだつたのかどうか。
 琉球に島豆腐といふ、おそろしく堅い豆腐があり、汁ものはもとより、炒めものでも頻繁に用ゐられて、實にうまい。
 その島豆腐は唐渡りだつたと思ふ。
 もしかすると調理法と一緒だつたらうか。
 根拠は無いけれど、炒めものに使へる豆腐なのだから、水分を搾つてゐたと想像出來る。
 それに歴史上のある時期まで、あすこの王朝群は極東で唯一の大文明圏だつたもの、堅く搾つた豆腐を炒めるくらゐ、難問ではなかつたに決つてゐる。
 うまい。
 すりやあ豆腐といふより、味つけや、あはせる肉や野菜が旨いのではないか…と指摘される可能性は高い。
 色みや口触りが豆腐の担当、と見るのは確かに説得力を感じるが、果してかれらがその為だけに豆腐を使つたか、甚だ怪しい。
 怪しいなあ…いやまあ、疑念は措きませう。

 豆腐の炒めものは、首を傾げ疑問を抱くより、食べるのがあらほましい。
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 さういふ背景、事情があつて過日、中華肉豆腐定食を食べた、と云へば嘘になつて、註文したのは旨さうに思へたからである。
 期待通り、旨かつた。
 尤もひとつだけ、瑕瑾と云へばいいのか、使はれた豆腐が絹漉しだつたからだらう、ふはふはした口当りがなんとも頼りなく感じられた。
 一体わたしは豆腐と云へば絹漉し…冷奴や湯豆腐…を好むのだが、炒める場合に限れば、木綿や島豆腐のやうに、がつしりしたやつの方が旨いと思ふ。
 中華料理に絹漉しを使ふのはあるのか知ら。