閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

560 散髪屋の立ち呑み

 世の中には立呑屋といふのがある。
 廿歳を少し過ぎた頃、ある散髪屋の親仁さんが、バリカンを使ひながら
 「中々エエもンでつせ。きゆうきゆうに詰めて、ダーク・ダックスで呑みますねン」
さう教へてくれ、すぐさま奥さんに
 「アンタ、お兄ちやんに、ナニを云ふてンの」
と叱られてゐた…こつちは大笑ひをこらへたのだが…のを思ひ出した。譬へが判らない若い讀者諸嬢諸氏の為に、註釈を附けると、ダーク・ダックスは、狭い立ち呑みで、右肩をカウンタに突きだした様を指す。…まさかダーク・ダックスを知らない筈はありますまい。わたしが初めて立呑屋に入つたのは、その話を聞いて、十年以上が過ぎてからであつた。

 どうして立呑屋に行かうと思つたのかは忘れた。わたしのことだから知人に誘はれたか、話を聞いて羨ましいと思つたかに決つてゐる。
 最初に行つたのは大久保と記憶してゐる。十人も入れない狭さで、串焼きが主だつた。確かサッポロの赤ラベルで、串を何本かと小鉢をつまんだ。数人のお客は揃ひの赤ら顔なのが面白かつたが、こつちの面も変らなかつたらう。
 同じ大久保には別の立呑屋もあつて、そちらにも入つた。安チェーン店のひとつ。ただ同じチェーンの外とは店の造りが異なり、メニュも随分ちがふ箇所があつた。焼き場に立つお姉さんが、好きに工夫を凝らしてゐたらしい。つくねひとつでも、叩いた軟骨や刻んだ蓮根を混ぜ込んだりで、黑板に書かれたさういふメニュを眺めるのが樂みだつた。偶に"試しに焼いてみた"串の味見をさしてもらつたこともある。残念ながらここは改装に伴つて、お姉さんがゐなくなつた。

 併しまあ所詮は立ち呑みだからなあ。
 と呟くひとはゐるだらうし、さういふひとが立呑屋に來ないのは、それだけ混まなくなるから、都合も宜しい。
 立ち呑みだと足が痛くなるからなあ。
 さう嘆くひとはそもそも、立呑屋は一時間もゐれば長いのだと知らないのだらう。だらだら呑む場所ではない。

 といふことは、何軒かの立呑屋を巡る内に判つた。もつと云へば長居する場所でない代り、(気に入らなければ)直ぐに出られるのも立呑屋なので、獨りで呑む分には寧ろ具合が宜しいとも同時に知つた。
 でも立ち呑みなんだから、あんまり期待は出來ないよね。
 その不安は尤もである。が、わたしの知る範囲で、散髪屋の親仁が歓んだダーク・ダックス・スタイルの立呑屋…乱暴に云ふと、安ものの焼酎、謎めくもつ煮と串焼き…は、殆ど見掛けない。絶滅はしてゐないにせよ、絶滅危惧種なのは間違ひないと思はれる。
 何故か知ら。
 首を傾げるまでもなく、それ…要は廉価…だけでは六づかしくなつたからだらう。六づかしくなつたのは、廉価を賣りにする居酒屋チェーンの乱立にあふられてと考へていい。事の良し惡しは、居酒屋史の研究と批評に任せるとして、呑み助と喰ひしん坊を兼ねる人びとにとつて、この変化は厭ふべきでなかつたとは、附言してもいい。
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 気に入りの立呑屋は何軒かあつて、その性格は大きく二種類に分けられる。
 第一はおつまみに力を注ぐお店。狭い中にコンロを置き、鍋やフライパンを置き、註文を受けてから料る。待つ時間はあるけれど、チーズを織り込んだオムレツにマヨネィーズのソースとか、雪花菜を混ぜたポテト・サラドとか、少し手間を掛けたのが出てくるのが嬉しいし、それが旨くもある。
 第二は呑ませる方に特化したお店。パブのやうに麦酒やヰスキィを揃へたり、葡萄酒に集中したり、お酒に注目したりと、色合ひがはつきりしてゐる。おつまみは少く、但し味噌漬けのチーズだの、黑胡椒を挽いたオリーヴ油を添へた生ハムだの、それぞれにあはせた小皿があつて、それが旨い。
 両者はくつきり別々でなく、そこにグラデイションがあるのは勿論である。また優劣の話でないのも勿論で、わたしなぞは第一系統のお店でかろく食べてから、第二系統のお店に移つて呑む、なんていふことをする。腹具合や懐の都合で、その辺を調整し易いのが有難いので、腰掛け式だと中々さう気軽にはゆかない。時にあの散髪屋の親仁さんを誘つて
 「大したもンでんな」
と驚かせたいと思ふが、残念なことに親仁さんは、先に天國の立呑屋に行つて仕舞つた。