閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

564 好きな唄の話~ご唱和ください 我の名を!

 特撮の主題歌は直球を眞ン中に投げ込むやうな直截さが望ましい。その直截が物語の方向を示してゐればより好もしいし、恰好よければ完璧であつて、『ウルトラマンZ』の主題歌であるこの唄は、どうもその完璧に近いらしい。

 全廿五話と三回の総集篇で構成された『ウルトラマンZ』は、最初から物語全体の大きな流れ…脚本が出來てゐたといふ。かういふ方式がいいとは必ずしも云へないが、この一本に限ればよい方向に働いたと思ふ。確かに話数が少い分、喰ひ足りなさを感じたり、駆け足過ぎる箇所は散見される。併し瑕瑾を指摘して全体を批判するのは、好ましい態度とは云へず俯瞰すると、よく纏つてゐるのは間違ひない。

 話を唄に戻しますよ。
 脚本がしつかり整つてゐたのは、この唄にとつても幸運であつた。
 退屈しのぎに蔓延るエイリアン(一番)
 最後に立ちはだかる相手は誰だ(二番)
 といふ思はせぶりなフレイズは、話の展開と實に噛み合つて、どんな風に話が進むのか、大枠を知つてゐなければ出來なかつたにちがひなく、歌詞が暗示するエイリアンや立ちはだかる相手を想像する樂みもあつて、もしかするとここまで樂めるのは、特撮主題歌としても異例ではなからうか。
 大切なのはその歌詞が物語の紹介ではなく、いや正確にはそれは一面であつて、冒頭に戻つて直截な恰好よさを満たしてゐて、聴いてゐると僅かに残つた少年の血が沸騰するんぢやあないかと感じられてくる。かういふ唄を持てたウルトラマンは、長い歴史を見渡しても少いと思へる。

 ひとつだけ文句を附けたい。
 この唄は作詞作曲の遠藤正明が歌唱してゐるのだが、どうやら自分の聲量を基準に作つてある。だから唄ひたいと思つても、こちらの肺活量ではとても及ばない。残念なのだが、詰りプロフェッショナルな特撮主題歌と云ふことか。