閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

575 天丼を考へる

 天麩羅を丼めしに乗せ、甘辛いたれで味を調へたのが天丼である…と、ここでは(大雑把に)考へたい。

 

 何と云つても天麩羅だもの。

 海老。烏賊。穴子

 鱚。大葉。獅子唐。

 ごはんに適はぬ道理はない。

 

 そんなに古い食べものではない。天麩羅が一応の完成を見たのは江戸の後期。屋台で賣る串揚げがそれで、まあ小僧や町人のおやつですな。

 現代のやうにお店で食べる形式…お座敷天麩羅と呼ばれたのだが…になつたのは、更に遅い。高温の油をたつぷり使へる設備の問題と、設備を使ふ建物の防火の問題が、立ち塞がる課題だつた。もうひとつ、盛切りの丼めしはどうやら、品下る食べものと思はれてゐた事情もある。詰り天丼が完成したのは、早くても幕末以降と考へていいが、例によつて發祥や経緯は判然としない。少くとも江戸の料理屋か蕎麦屋が、原型を作つたと考るのは間違ひなく、また暫くの間、"お座敷天麩羅"の店では、出さなかつたとも思ふ。

 

 ところで、よく考へると天丼といふのは、妙な食べものではなからうか。

 めしとおかずを一ぺんに食べる丼ものには、無精者…でなければ労働者が

 「一ぺえ、頼まあ」

とか何とか云ひながら、ちよいと暖簾を上げ、坐つたところに時を措かず、あいよと出される、安直安価な食事、といふ印象がある。親子丼や牛丼がさうでせう。

 天丼はちがふ。頼まあなんて云へない。それに註文してから出されるまで、お漬物なんぞで呑みながら、待たなくてはならず、呑むのは歓迎するにしても、それでは安直でも安価でもなくなつてしまふ。そんなら天丼より、天麩羅を順に揚げてもらふ方が、好もしさうな気がされる。天丼と天麩羅を同列で比較するのは間違ひ…カレー・ライスとカレーを較べられないのと同じである…なのだけれど。

 

 文句をつけはしたが、天丼がわたしを、我われを歓ばせる食べもの…手間の掛つた、贅沢な食べものと見るのは正しい見方である。その手間は、屋台で賣られてゐた、野暮つたい串揚げを、江戸人が磨き上げたからで、こいつは大したものだと云はなくてはならない。ここで、京大坂で天麩羅…天丼が發達しなかつたのが不思議に思へるが、どうもそれは、江戸の特異さが関はつてゐる。

 

 第一にあの町は極端に男が多かつた。その殆どが日傭ひの職人で、それなりに腕があれば、喰ひ扶持に困らずに済んだといふ。宵越しの銭は要らなかつたわけである。

 第二にあの町は水に不便であり續けた。上水道を引き、拡げ、また維持するのは、時の政権の大きな仕事で、残念なことに人口に対して間に合はなかつた。どうにも今となつては信じ難いけれども。

 

 その結果、少くとも結果の一面として、江戸では外食が大きな産業になつた。お金が動いて、外食が持て囃される町である、同じなら旨くて珍奇を食べたいといふ慾求は醸成されるし、その技術が磨かれても当然であらう。お大尽の華美と豪奢、料理屋の驕慢(どこかの料理屋では、一ぱいのお茶の為に半日を掛けて高名な水を汲みに行き、十両だかの請求をしたといふ)はあつたけれど、その渾沌を百年掛けて洗練させたと考へれば、再び大したものだと云ひたくなる。百年の洗練から生れた天丼が、現在のかたちに纏まつたのはいつ頃か知ら。わたしが云ふのは、海老(二本)と獅子唐の天麩羅を、色濃く煮詰めた甘辛いたれにくぐらせた式で、現代天丼のこれが基本形ではないかと思ふ。

 

 ここで凄いと云ひたいのは、たれにくぐらせるといふ發想で、もしかすると当時、天麩羅は衣をからりと揚げたのが値うちだと考へられてゐなかつたのかも知れない。

 「天麩羅でも、天つゆを使ふぢやあないか」

と云つても、それは揚がつた天麩羅を適度に、或は好みに潤びらすのが目的で用意されるのだから、使はない撰択も許される。併し丼を撰ぶと、天麩羅は問答無用でたれをくぐることになつて、初期の天丼であれば、たれも未完成だつたらうから、不本意に感じるひともゐたのではと心配になる。

 「ウスター・ソースにくぐらせる式のかつ丼があるんだから、天丼だつて平気だよ」

さう考へるのは誤りで、ソースかつ丼は寧ろ天丼の技法を応用したと見立てたい。わたしは洋食のディープ・フライは、天麩羅まで源流を遡れると思つてゐる。

 余談はさて措いて。

 種を撰んで下拵へ。衣の量と厚さ。油の温度を調へ、揚げ時間に気を配り。たれの味と粘り、勿論分量も。それにごはんの炊け具合。幾つもの要素のすべて、塩梅宜しきを得て、やつと天丼は出來上る。そこでひとつ、お願ひがあつて、次は"大根おろしで食べる天丼"を、完成さしてはもらへないだらうか。少々野暮に仕立てた天麩羅に、たつぷりの大根おろしを乗せた丼は、きつと旨いと思ふのだが、目にしたためしがない。たれをどうするかが六づかしいのか知ら。