閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

587 回游魚

 梯子酒本來の意味合ひは、梯子を一段づつ登るやうに、お馴染みの店を呑み歩くこと、だといふ。高いところに登つたら、危ないからだらうな。詰り手当り次第に呑み歩くことではない。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏はご存知でしたか。わたしは知らなかつた。そこで問題…訂正、疑問は"お馴染み"と云へる條件は何だらうといふ点で、ここでは暖簾をくぐつて

 「やあこんばんは」

 「おや丸さん、いらつしやい」

が成り立てば、さう称してもよからうか。大将や女将さんにどう思はれてゐるか、といふ不安は残るけれど、それを確めるのは野暮な態度だし、仮にそこで

 「え。丸さんつて、うちのお馴染みでしたか知ら」

などと云はれたら、きつと落ち込むし、その気分を立て直すのに何杯必要か、見当も附かない。この際、お店の気持ちは斟酌しないとする。そんならわたしにも何軒かのお馴染みがあると云へる。果して自慢していいものかどうか。

 

 そもそも梯子酒自体、怪しからんとする考へもある。同じ呑むなら腰を落ち着け、ゆつくり味はふのが本道だと云はれれば、さうかも知れないなあと思ふ。たれかと一緒に呑む場合、確かにその方がいい。では獨りで呑む時はどうかと云ふと、じつくり坐るのは寧ろ落ち着かないことがある。獨りで呑みまた食べられる量はたかが知れるもので、呑みもせず食べもせず、坐るのは申し訳ない。とは云へお代りが慾しいわけでもないから、立たねばならなくなる。何の為に坐つたのか解らなくなつて、これぢやあ本道も怪しくなる。

 もつと大雑把に、うまいお酒と肴を、美味いうまいと樂むのが本道といふ見立てもある。こつちに立てば、呑み方は時と場合と相手で使ひわければよくなつて、ずしりと腰を下ろすのも、そこに含まれる。梯子酒も勿論、そのひとつとなつて、まことに具合が宜しい。と思ふのは、わたしには梯子酒を好む傾向がある(らしい)からで、いつ頃からさうなつたのだらう。友人呑み仲間醉つ払ひ仲間に恵まれなかつたことは無いから、止む事を得ず、獨りで呑むのを覚えたのではないのは確實である。一方で見栄坊な癖に気の弱い男、詰りわたしは、不見転で新しいお店の暖簾をふらりとくぐるのが出來にくいたちなので、結局のところ、よく解らない。解らないまま、ここでは獨りの梯子酒も、わたしにとつては呑む樂みのひとつとなつてゐると、考へておかう。

 

 ところで何軒のお馴染みを巡つたら、すりやあ梯子酒だなと呼べるのか知ら。三軒まではちがふ気がする。我が眞面目な讀者諸嬢諸氏だつて、ちよつとした弾みでそれくらゐは呑んで仕舞ふ夜もあるにちがひない。それに翌朝、ゆふべはよくも呑んだと感じるのは、四軒より先まで巡つた時でもあるから、一応の目安として採用出來ると思ふ。と云ふと

 「一晩で四軒(余り)も廻るなんて、不健康極まりない」

きつと叱られる。云ひ訳をすれば、わたしだつていい大人だもの、毎夜毎回、そんな眞似をしでかしはしない。醉ひの具合とお財布の都合が偶さかうまく合致することがあつて、そんな夜にはあれもこれもと、呑みたくなる。呑み助の人情の發露と理解してもらひたい。

 云つておくと、何の考へも無く、彷徨…徘徊するのではない。その気になつたら、どこをどの順番で巡らうかと流れを考へはする。その流れは、何をどの順で呑むのかとほぼ同じい。かう書いて少し補足すると、わたしが立ち寄るお店はそれぞれ、お酒や葡萄酒、焼酎にヰスキィと、得意な分野がある。またつまみが豊富なお店と、さうでもないお店(念を押すと不味のではない…といふより、つまみのまづいお店にはそもそも、足を運ばない)とがあつて、組み立てを失敗らなければ、最後まで醉ひがほろほろのままで、布団に潜り込める。経験的に云ふと、軽めの酒精としつかりしたつまみ(たとへば麦酒と鶏の唐揚げ)から、どつしりとした酒精に少なめで味の濃いつまみ(たとへば生酛と酒盗)に移れば、おほむねは安心出來るのだが、何のことはない、一軒でじつくり呑む場合と、留意すべき点は変らない。但し扱ふ酒精をある程度絞つたお店なら、それにあはせたつまみを用意し、或は特化してゐる期待を持てる。

 

 問題になるのは、我ながら完璧と手を拍きたくなる順序を決めても、實際その通りに進むとは限らない。あすこで北陸のお酒を呑みながら、うまい煮つけを喰はうと思つてゐて、そこが満席だつたり、臨時のお休みだつたりする場合があるし、お店の前まで行つて、どんなわけだか気分が失せることだつてある。そこで仕方がない、けふは帰らうと考へず、その困難に際して

 (何がなんでも呑みたい)

寧ろ熱くなるのが呑み助の態度である。こんな時、経験豊かな呑み助の頭の中には必ず出來てゐる、お馴染みの店の地図がものをいふ。わたしくらゐになると、地図に記したお店で何が呑めるかは勿論、どんな傾向のつまみがあるかも書き込んである。さういふ定点…やあ丸さん、こんばんはと云つてもらへるお店…が幾つかあれば、妥協をしない臨機応変の対処が可能になる。

 うーむ、胸を張れるのだらうか。第一、そんな呑み方を、梯子するなどと云つていいのかも疑問が残る。当人は實のところ、醉ひの海を泳ぐ回游魚が、餌場を巡るやうな気分なんである。高みに昇らず、水底をうろうろすれば、高い場所から落ちる心配をせずに済む。それはこんな具合…と画像を出したいところだが、残念なことに最近は回游の機会に恵まれない。その辺はもごもごと誤魔化すとして、今はかういふ泳ぎ方をすつかり忘れてゐる。下手に呑んだら溺れかねない。梯子から落ちるのと、どつちが危ないだらう。