閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

591 汁をつまむ

 呑む時には一緒につまみがないと落ち着かない。但し何でもいいとは限らない。呑むと醉ふ。醉ふと手元が覚束なくなる。耻づかしながらわたしは、素面でもお箸の使ひ方がたいへん下手で、よほど気をつけないと、鉛筆を持つ風になる。醉ひがまはつて、気をつけるのは無理といふものだから、お箸で千切つたりつまんだりするのは敬しつつも遠ざけたい。爪楊枝やホークで刺せるハムやソーセイジ、チーズに種々の燻製、或は胡瓜やたくわんの類は惡くない。惡くはないが、お腹の具合では物足りない。かと云つて先に、蕎麦を啜るなり、ステイクでも唐揚げでも食べればいいと考へるのは、敗けた気になる。一体何との戰ひなのか。

 

 勝負はさて措き。お箸系を遠ざけ、爪楊枝系が物足りない気分の時、どんなつまみがあればいいのか。腹案がある。つまみの案だけに腹案。

 …二度と云ひません。

 腹案の話をする。お箸や爪楊枝でなければ、匙がある。匙を食べるわけにはゆかないから、匙を使つて食べる。洒落者を気取りたければ、シチューでもグラタンでも好きにすればよいが、わたしは洒落者ではないし、シチューやグラタンで呑む機会にも恵まれない。そもそも酒席に似合ふのか知ら、といふ疑問も措く。腹案にあるのは粕汁や豚汁、もちつと広げて、(和洋中に関らず)具沢山の汁ものと云つてもいい。

 

 豚肉と鶏肉。

 大根、牛蒡、人参。

 鮭や鰤、葱、里芋。

 蒟蒻に椎茸、うで玉子。

 焼き豆腐と厚揚げと油揚げ。

 

 トマトのソップで仕立てるなら、牡蠣や様々の貝、豆類、茸類、馬鈴薯、蕪、羊肉、香草を刻み入れた挽き肉の団子、キヤベツに玉葱、ベーコンを入れてもよささうである。何を使ふにしても、余り大きく切らないでもらひたい。さう云はれたつて、大きさの見当がつきませんよ。匙で掬ふのに丁度いい大きさがいいのです。陶器の丼でお皿でも温めて、熱いのを盛つたの。ここで少々慌てながら附け足すと、匙は深めの木で出來たのがいい。その木匙で肉や野菜や魚や茸や豆を掬ひ頬張る。これだと左手に盃(でなければグラス)を持ちながら、右手で匙を操ればいいので、まことに具合がいい。だつたらもつ煮はどうかなと親切な讀者諸嬢諸氏がご教示くださるにちがひない。名案である。醤油でよく、味噌炊きもいいし、骨や髄で取つたソップもまた宜しい。とは云へあちらは煮もの。匙だけでなく、箸やホークも必要になる。汁ものなら匙だけでよい。さういふ屁理窟を立て、この稿では粕汁豚汁に軍配を上げたい。

 

 附け加へれば、汁ものは食べて呑んだ後、そのお汁で〆られるのも嬉しい。呑んだ後にはラーメンだらうと思ふ向きもあらうが、わたしの胃袋には重すぎる。實のところ、かけ蕎麦もり蕎麦の半分くらゐが一ばんいいのだが、そんな都合よく話は進むまい。併し粕汁や豚汁なら、素麺の茹で置きがほんの少しあれば、お汁に落とすだけで綺麗に締め括れる。首を傾げるそこの貴女、お味噌汁に素麺を落とせば旨いのはご存知でせう、あれとおんなしです。お箸を使ふのが面倒ならまあ、省略しても差し支へなく、さういふことも出來る余地があると思へば、気分は宜しい。

 ここまで書くと、料理熱心な讀者諸嬢諸氏は、粕汁でも豚汁でも、別に六づかしくないのだから、いつでも好きに作ればいいのにと思ふにちがひない。尤もである。不器用者のわたしでも、作ること自体に不安は感じないもの。併しこの手の汁ものは、大鍋で一ぺんに仕立てないと旨くならない気がする。具材の都合…出汁とか何とかの事情だと思はれて、いや大鍋で作るのは苦にならないとしても、食べきれる自信が無い。残して傷まして棄てるなどといふ眞似はしたくない。それにかういふのは、たれかが作つたのを旨いうまいとお代りをしつつ、味附けと具の扱ひとあしらひを褒めそやすのが樂みでもある。酒藏のちかくに、その藏の酒粕で作つた粕汁を出す(勿論お酒も一緒に)お店があれば、藏を見學した帰りに必ず寄るだらうに。