閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

600 気樂の代り

 GRデジタルⅡが手元にある。

 勿論、使つてゐる。

 毎日必ず、ではないけれども。

 手首を通す式のストラップを附けて、ケイスに入れて、そのケイスにカラビナを附け、鞄やズボンにぶら下げてゐる。便利で宜しい。

 この"便利で宜しい"のが、實は見逃してはならない大事な点だと、使ひながら…いや正確には持ち歩きながら、やつと解つてきた。

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 もの凄く当り前のことを云ふ。

 カメラを持つてゐないと、冩眞は撮れない。

 阿房かね、丸太は。と笑はないでもらひたい。實際毎日持ち歩いて、さうし易い大きさと重さと形があると納得したのは、再發見(と呼びたくなること)だつた。

 比較の為に云ふと、わたしが主に使ふのは、オリンパスのマイクロ・フォーサーズで、こちらも持ち出すのに躊躇する大きさ重さではない。併しレンズを附けたオリンパスは、レンズの出つ張りの分だけ鞄やズボンにぶら下げにくい。今日はオリンパスを使はう、さう決める必要がある。不便とは云はないにしても、面倒ではある。

 無精もほどほどに。と忠告されさうな気がして、確かにさうだなあと思ひもするのだが、易きに流れるのは人の性だもの、仕方がないぢやあないか。

 もうひとつ。マイクロ・フォーサーズを使ふ場合、レンズのキャップを外さねばならない。キャップを外して撮り、終つたらキャップを附ける。これが繰返し繰返しになると(ことに呑みながら肴を撮る時など)、何とも苛々してくる。GRデジタルⅡにはレンズのカヴァが内藏されてゐる。小さいと云へぱ小さなちがひだけれど、便利で宜しいと感じるのは、その小さなちがひが積み重つた結果ではあるまいか。

 

 (尤もそのカヴァの構造がよくなくて、埃が入つたり、開閉がをかしくなつたりする持病があるのは、リコーのひとも認めた事實なのだが、この稿では触れない)

 

 そんなことを云つても、それらはGRデジタルⅡに限つた話ではなく…寧ろ現行のGRⅢを挙げて主張なり何なりすればいい、といふ指摘はまつたく正しい。

 併しそのGRⅢは今のところ、手元に無い。だから持ち出せず、従つてそれが快適で宜しいのか、案外不便で感心しないのか、まあ前者なのは間違ひなからうし、さうでなくてはならんとも思ふのだが、確信を持つてまでは云へない。

 序でに云ふと、我が手元のGRデジタルⅡは、ごく廉価に入手した。いや序でと扱ふには大きな事情で、気分が樂になるのがいい。念を押すと乱暴に使つていいのでなく、妙な云ひ方を承知でいふと、値段の重圧を感じないのが有難い。その所為だらうか、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏の膝下にお届け出來るだけの一枚が未だ撮れてゐない。