閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

612 曖昧映画館~スーパーマン

 記憶に残る映画を記憶のまま、曖昧に書く。

 

 アメリカのヒーロー・コミックにはまつたく詳しくないので印象で云ふのだが、妙なところを妙に現實的に描かうとする癖がありさうに思ふ。バットマンは齢を取るし、キャプテン・アメリカは法に縛られたりする。翻つて日本のヒーローは歳を重ね、或は遵法精神に富んでゐるだらうか。後者に限ると月光仮面が近いかも知れないが、かれは法の番人ではなく正義の味方だから、アメリカといふ多層多重の正義がある土地…だから法がその一部を受け持つてゐる…で活躍するのは六づかしからう。

 

 リチャード・ドナー(後に『リーサル・ウェポン』や『マーヴェリック』を監督してゐる)が撮つたこの映画では、さういふ面倒を考へなくていい。リアリズム…社会との密接に目を向けなくてよかつたからで、我われは無邪気に、ヒーローの大活躍に没頭出來る。

 昭和五十三年(日本での公開は翌年)…千九百七十八年の製作だから、今の目で見ると特撮の部分は流石に粗が目立つ。それは仕方がない。仕方がないと云ふのは誤りで、今の目で見ても気にならない。ドナーが素晴しい職人藝を發揮したのは勿論だが、矢張り我われの視線は、クラーク・ケントことスーパーマンを演じたクリストファ・リーヴから離れない。この映画を初めて観た時、わたしはコミック版のスーパーマンを知らなかつたのに、リーヴの姿…顔立ちだけでなく、起居振舞も含めて、かれがさうだと、違和感なく確信出來た。バットマンマイケル・キートンも、アイアンマンのロバート・ダウニー・ジュニアも、ブルース・ウェインやトニー・スタークの前に、キートンであり、ダウニー・ジュニアだつたなと思ふと、凄いことだと思ふ。

 

 筋立てはまあ、語らなくてもいいでせう。

 ケント・スーパーマンは明朗で強靭。

 マーゴット・キダー演じるロイス・レインはひたすら可憐なヒロインで、ジーン・ハックマン演ずるレックス・ルーサーは徹頭徹尾の惡役。

 かう書けばもう、判るでせう。後はジョン・ウイリアムス手になるあの雄壮なテーマ曲と共に、リーヴ・スーパーマンの活躍に胸を躍らせるだけでいい。