閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

635 天麩羅饂飩小考

 『じゃりン子チエ』の作中では、"(だるま屋の)天プラうどん"で一貫されてゐて、何度も目にすると、旨さうな気がされてくるのだが、この稿では原則的に天麩羅饂飩とする。

 種ものとして見れば、蕎麦の方が適ふと思ふ。

 海老に貝柱。笹掻き牛蒡。春菊。枝豆。それに掻き揚げ。

 例外は紅生姜…後は九州流の薩摩揚げではなからうか。

 云つておくが、天麩羅饂飩自体はまづいのではないよ。偶に啜り込みたくなつてくるし、啜つたら確かに旨い。さう思ふ度合ひが、蕎麦より少いだけのことである。

 何故かと思ふに、蕎麦は東京風のつゆ、饂飩は大坂風のつゆに舌が馴染んでゐる所為で、これはもう、わたしはさうなのですと開き直るしかない。仮に東京つゆで啜る饂飩になずんでゐたら、その評価印象は丸で異なつてゐただらう。

 我が親愛なる讀者諸嬢諸氏だつて、同じにちがひない。

 何の話をしたかつたのか…さう、天麩羅饂飩であつて、先づ饂飩そのものは大坂風とする。昆布と炒りこで出汁を取つて、淡口醤油で仕立てたつゆ。当り前に考へると、油揚げが最良の種ものなのだが、この稿で考へるのは天麩羅である。

 ところで大坂式と東京式で、天麩羅に顕著なちがひはあるのだらうか。疑問はさて措き。

 一ばん適ふのは矢張り、海老の天麩羅だと思ふ。慾を云へば、ぼつてりしてゐない衣で二尾。そこに青葱を少々散らせば、あつさりと淡泊があはさつた品のいい天麩羅饂飩の出來上りである。定型的と笑つてはいけない。型に定つて見えるには、それだけの時間が必要になるものだ。

 では外の天麩羅はどうだらう。たとへば玉葱。せんに切つた茄子。あひさうな気もするし、然程でもない結果になりさうな気もして…要するに試さないと解らない。

 ここまで書いて、大坂には、甘辛く炊いた小間切れの牛肉を乗せた肉饂飩があるのを思ひ出した。天麩羅への転用は出來さうだし(流石にそのままは六づかしからうが)、生姜の効かせ方に留意すれば、いい種ものになりさうな気がする。

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 尤もそんなことを考へたのは、東京式の掻揚げ饂飩…品書きでは天麩羅饂飩…を啜りながらだつた。三百廿円といふ値段から云ふと、中々うまい一ぱいであつたが、我ながらいい加減な態度だとも思はれる。