閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

655 好きな唄の話~ワダツミの木

 初めて耳にしたのはいつだつたか、兎に角驚いたのは忘れ難い。今になつてその驚きの理由を詳らかにするのは六づかしい。こんな唄もありなのか、と思つたのは間違ひない。

 曲調も歌詞も、所謂ポップス、或はバラッドとは呼びにくい。民謡や演歌の類でもなく…奄美沖縄の唄が源流なのは確かである…、詰るところは元ちとせの唄としか云へない。

 

 惡くち風に云ふと、曲も詞も現實感に乏しい。

 そんな唄なら幾らでもある…が、わたしは礼儀を心得た男だから、それ以上は沈黙を守る。

 

 惡くちではない云ひ方にしませう。

 神話的である。それは海と共にある世界…思ひきつて云へば、ポリネシア風の神話に近く、都市からは最も遠い。善神も惡神もひとの隣にあつて、波頭にも星の煌きにも、花びらの揺めきにも意味のある世界。

 そんな場所は無い、無くなつて仕舞つた。

 さう冷笑的に、悲観的に反論する余地はある。その通りなのだが、元ちとせはその失せた筈の場所を唄ふことで、(語弊があるのを承知で云へば)あつさりと作りあげた。彼女は何故そんなことが出來たのだらう。

 

 解るわけがないと思ひつつ、想像をするに、土俗の残る土地には、稀に巫女的な体質を持つひと…女性がゐるか出るかするといふ。してみると元ちとせは、その巫女体質の持ち主なのかも知れない。オカルト趣味の持合せは無いが、神話を感じさせる唄は、西洋式の音樂理論に基づいてゐるより、超自然的な何かが"降りた"から生れたと考へる方が、すつきりと腑に落ちる。