閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

666 海内無双に義理を立て

 大根おろしがうまいと自覚した切つ掛けは、尊敬する丸谷才一の随筆で何度か、その旨さを讚へてゐたからで、天麩羅屋は大根おろしを存分に食べられて嬉しいとか、湯上げした鰰を、大量の大根おろしと醤油で食べる幸せだとかを讀んだからにちがひない。鰰はハタハタと訓む。庄内の港にあがる魚。鶴岡人である丸谷は、海内無双の下魚と絶讚してゐる。その鰰をわたしは一ぺんしか、それも塩焼きでしか食べたことがない。秋田料理の店と記憶してゐるが、誂へ方がちがふ所為か、単に鮮度や数の都合だつたのか、その辺は曖昧なままである。秋田の名誉の為、焼き鰰は焼き鰰で旨いものだつたと、申し添へておく。

 細かいところはどうあれ、大根おろしは魚に適ふ。いや魚に限らず、玉子焼きやお蕎麦、獸肉にだつて似合ふ。これも丸谷の随筆で讀んだゴシップだが、ある學者は毎晩、大根おろしに鮭罐やなめ茸の壜詰…要は冷藏庫の余りものを入れて醤油をかけまはし、寝酒を嗜んだといふ。その大根おろしはピアニストの奥方が用意したさうで、たいへんな亭主関白だなあと…ピアニストの指は大切な商賣道具である…、丸谷も苦笑ひを浮べてゐた。併し亭主が関白か摂政か太政大臣かは兎も角、くだんの學者氏はまつたく、うまいことを考へた。毎夜なにを肴にすればいいか、思ひ煩はなくていい。焼き鰰を毟つたのを入れても旨からう。

 學者氏は奥方が演奏會で不在の夜、自分で大根をおろしてゐたのか知ら。

 ところで大根をおろすのは、本邦獨特の食べ方らしい。洋の東西を見ても、大根自体は諸々の料理に用ゐられてゐるのに。およそひとが思ひつく調理法は全部試してゐさうな中國にも無いといふから、意外ではありませんか。大陸人は冷たい食べものが苦手といふ話を聞いたことはあるが、熱い食べものに乗せたり添へたりも出來るのに、かれらがさう考へなかつたのは不思議でならない。試して口に適はなかつたのだらうか。それはそれで不思議だけれども、中國から見るとおろすだけでなく、分厚く切つて煮たり千切りにしたり、大根を偏愛する我われを不思議に思つてゐるのだらう。文化のちがひと云ふべきか。

 とは云へ正直なところ、大根おろしを用意するのは面倒である。ごりごりすりおろして溜つたのを見ると、手に持つてゐた大根に較べて少い気がしてならない。ヰスキィは樽で寝かせる間に天使が訪れてこつそり呑むのだが(かれ乃至彼女の為、"天使の取り分"といふ洒落た呼び方があるくらゐ)、何年も掛けての盗み呑みだからまあ納得はゆく。それに天使は盗み呑みの代りに(律儀にも)、ヰスキィの味を佳くもするから、納得ゆくといふより寧ろ有難い泥棒である。大根をごりごりするだけだと(残念なことに)、さういふ特典の期待は出來ない。第一おろす前と後で大根の量が変るものでもあるまいに、慾をかくと天使に咜られる。反省します。

 山葵ならすりおろすのも樂みになるのに、このちがひは香りが立つかどうかの差なのか知ら。

 天麩羅や秋刀魚の塩焼きや玉子焼きに添へるのが旨いし嬉しいのは勿論として、大根おろしを味はふなら豆腐がいいと思ふ。暑い季節の冷奴には茗荷と生姜と葱と削り節だが、そこに大根おろしをどつさり乗せるのだ。寒くなつても心配は無い。温奴でなければ湯豆腐にも大根おろしはよく似合ふ。無精者向けと云はれるか知ら。併し手ならもつと抜けて、枝豆とあはすのは更に簡単である。世の中は便利になつてゐるから、冷凍ものの枝豆を使ふ。實を取り出し、醤油でも麺つゆでも、ひたひたに漬ける。出來れば生姜(チューブ入りでかまはない)も入れる。これだと味が濃くなるかなと思ふくらゐが丁度宜しい。何時間か…半日でも一晩でも好きにすれば宜しい…漬けたら、それを器にあけて、大根おろしをたつぷり乗せ、混ぜてから青葱を散らす。こいつを木の匙で掬ひながら、罐麦酒でも冷や酒でもやつつければ、晩酌は完成する。枝豆をちやんと茹で、出汁を引いて、生姜を刻めばもつと美味くなるだらう。さう云へば山形にはだだちや豆だつたか、たいへん美味しい枝豆があるから、これを使つたら上等の肴になる。この際もちつと気張つて、鰰も手に入れれば、海内無双の贅沢な酒席が現れるし、尊敬する丸谷才一への義理も立つ。