閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

673 赤身

 スズキ目サバ科マグロ属に分類されるさうで、詰り鯖や鰆の遠縁、鰹の親族で…鮪の話ですよ。鮪の字はサカナ偏に有ルと分解出來て、日本かつお・まぐろ漁業協同組合が運営する[かつお・まぐろぽーたる]によると、有に含まれる月が眼目らしく、月の字の源は肉と同じなので、肉乃至体の意があるといふ話。まぐろからは肉がたつぷり取れる、詰り肉の多い魚だから、鮪の字になつたと書いてあるのですが、さて本当か知ら。

 古語ではシビ。"大魚…訓みはオフヲ…よし"といふ枕詞も用意されて、『古事記』にも"大魚よし鮪突く海人よ"と詠はれてゐて、大味だが生きはいいですな。現代でも関西…近畿圏のふるい料理に名前が残つてゐる筈だが、流石に普段は使ひませんよ。そのシビがマグロに転じたとして、いつ頃のことか、どうやつて転じたのか、ここはさつぱり解りません。そもそも我われの遠いご先祖が食べたシビは本当にマグロだつたかとも思へますが、詮索は兎も角、古語に残るくらゐ、馴染み深い魚なのはほぼ間違ひありますまい。

 尤も有名な話をすると、鮪は馴染み深いわりに、下魚の扱ひが長いながい間、續きました。ごくありきたりに保存が六づかしかつたからで、かう云ふと、鯖や鰹も同じだつたらうと反論が出るでせうね。敦賀鯖街道なんて、よく知られてゐるぢやあないか。鮪が例外になるのはをかしい。確かに一理あります。ありはしますが、これもごくありきたりな理由で再反論出來るでせう。詰り大きさ。足の早い魚を保存するには、塩漬けにするか干すかで、当時の技術で鮪は持ち余る大きさだつたといふことです。

 時代も随分下つた江戸期。醤油に漬け込む技法…漬けが成り立ち、やつと多少の変化が生じました。それでも下魚の地位はそのまま。中でも脂の部分は醤油を弾くので漬けにも不向きだから、顧みられませんでした。隔世の感がありますなあ。江戸風の料理の葱鮪(鍋)は發明と云へるでせうが、あれとて棄てる筈の脂の香りを葱に移すのが目的でしたからね。今では脂みを賣りにした、一人前何千円とかする、えらい高級な料理になり下りましたが。要するに鮪は『古事記』以前の上古から、下層民の食べる魚のまま、近代まで到つたと云へるでせう。

 さて。釣つてから速やかに保存する技術…ことに冷凍保存の發達が赤身を中流程度の食卓まで運び、敗戰後にアメリカから流れ込んだ食生活が脂身の地位を押し上げたと見るのは誤りではないと思へます。詰り鮪が大して旨くもない、併し(工夫で)喰へなくもない魚から、うまい魚へ転じてから高々半世紀余り。凄い早さの出世で、魚界では豊太閤と呼ばれてゐるのではないか知ら。早鮓やお刺身や漬けといつた古來の食べ方は勿論、串揚げ、和へもの、焙り、佃煮、サラドの種にステイク。どうやら獸肉を用ゐる料理なら、鮪でも成り立ちさうで(部位の撰別は必要としても)、もしかしてこれは我が國の鮪食史上、最も劇的でまた劃期的な変化だつたかも知れません。いやわたしは(半ば以上)本気なんですよ。

 とは云ふものの。實のところわたしは、鮪をそこまで好んではゐないのです。きらひではありません。早鮓の盛合せに赤身の一貫も見えないのは寂しいし、気が向けば大葉と生姜と醤油で漬け擬きを用意することだつてあります。もう暖簾を下ろしましたが、大坂は天神橋筋にあつた[たこ梅]の鮪の串かつは實に旨いものでした。もう一ぺん食べられないのは残念…と云へる程度には旨いと思ふんですが、どこかのお店で"まぐろフェア開催"と煽られても、ふーんさうなのねで終つてしまひます。親族の"鯖大會"だつたら、きつと昂奮するのに、我ながら不思議だなあ。

 まあもつと不思議なのは、その鮪が(妙に)恋しくなる瞬間があることで、卑近な例で云へば、マーケットの惣菜賣場で鐵火巻だのねぎとろが並んでゐるのを見ると不意に、山葵を効かしてつまんだら旨からうなと思ふのは、何故でせうね。序でに云ふと、脂のところを恋しいと感じないのも不思議ではあります。下層民だつたご先祖が、鮪で腹を膨らました記憶が不意に刺戟されるのかとも考へましたが、わたしのご先祖は瀬戸内人ですからね。下層の漁撈民だつたとしても魚に不自由はしなかつた筈ですし、ひよつとすると鮪を知らなかつたとまで、想像も出來ませう。さういふ疑問も香辛料に、今夜は赤身の鐵火巻で一ぱい、呑るとしますか。