閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

678 未ダ定マラズ

 この稿を書いてゐる時点では何も決つてゐないけれど、ちよつとした遊びの話が出てきた。出不精なわたしですら浮足立つた気分になつて、自覚の無いストレスのやうなものが溜つてゐたのか知らと思ふ。具体的なことは"未ダ定マラズ"だから触れない。但し触れておきたい点もあつて、それが朝めし。ちよつとした遊びが實現すると、泊りが一応の前提となつて、すると朝めしは避けて通れない。

 以前の話を繰返すと、わたしの普段の朝は朝珈琲とトースト程度なので、これを朝めし…食事とは称するのは六づかしい。尊敬する内田百閒は朝にアルファベット型のビスケットをつまんだが、それを朝食とは考へなかつた。ビスケットがトーストになつたわたしも、眞似をして普段は朝めしを食べないと云ひたい。このくらゐの眞似だつたら、咜られる心配もせずに済まう。

 

 併しどこかに泊るなら事情はちがふ。大体は前夜、旨いお酒を呑むから、かるく宿醉つてゐる筈なのに、妙な空腹を感じることがある。空腹の度合ひが宿醉ひの具合と関はるのは云ふまでもなく、何を食べるかは事前に決めにくい。

 尊敬する吉田健一は酒田で韮と生卵を混ぜたのや、蕎麦の實を茹でて鶏のたたきで味附けたの、東北の茶屋で琥珀いろになつた筋子の味噌漬けやとろろ、金沢では河豚の粕漬けの薄切り、鰯の糠漬け(こんか漬と呼ぶらしい)、鰻の蒲焼と蕪おろしを蒸したのをやつつけてゐて、吉田だから麦酒やお酒をあはすのは勿論である。ここまでくると羨望も出にくい。

 吉田が大宰相の倅に生れたのは偶々で、本人はその事實を煙たがつたさうだが、外交官だつた父に従ひ、英國や中國で幼少期を過したのは、将來の批評家と随筆家と小説家と呑み助とその讀者の為に幸運であつた。でなければわたしが、鰻の蒲焼と蕪おろしを蒸した食べもの…見た目の想像は出來ないが、旨いだらうとは疑念の余地が無い…なんて、今も知らないままだつた。残つた短い人生の中で、食べられるかどうかは兎も角、知らなければ掴む機会も持てなくなる。

 

 こんか鰯や琥珀の味噌漬けは先の話としてさて措き。繰返すと泊る以上は朝めしに目を瞑るわけにもゆかない。ビジネス・ホテルだから朝食はある。尤もビジネス・ホテルの朝食だから期待は出來ない。そもそも宿醉ひの頭で、階下のレストランだか何だかに足を運ぶのは面倒だし、仮に降りたとして、その場で朝の麦酒を呑めないのは業腹でもある。なので予め買つておかうと思ふ。

 宿醉ひの度合ひを予測するのは確かに困難だが、ここで経験がものを云ふ。前夜のお酒の気分、もしかするとお酒自体も残つてゐるから、サンドウィッチの類は避けるのが無難であらう。一晩置くことになるのだから、揚げ物の系統も避けておく。空腹を感じたとしても、實際に食べられるかどうかを考へれば、幕の内弁当なんぞも退けたい。サンドウィッチや揚げ物や幕の内弁当がまづいのではなく、ビジネス・ホテルで呑んだ翌朝には不向きといふことである。

 

 そんなら何がいいのかと話が進むのは当然であつて、この場合はお寿司が好もしい。早鮓でもいいが、種を漬けにしたり、酢〆にしたり、或は焙つたりして…要するにあつさりしたのと、しつつこいのが混ざるのが嬉しいからだが、さういふのを買ふと高くつく。値段は気にしなくても、それだけの早鮓だつたらその場で直ぐに食べたい。

 なので散らし寿司にするのが安心と思へる。百閒先生ご自慢の魚島寿司…十幾つも種を用ゐたお祭りのやうな散らし寿司…ではなく、ごく当り前のやつ。筍や椎茸や隠元豆、そぼろに錦糸玉子。海老だの穴子だのがあればもつといい。まあ併しよく出來た散らし寿司も矢張り、直ぐに食べたくなるから、どこでも買へるくらゐのでいいとする。

 どこでも買へる散らし寿司が有難いのは、どこでも買へるのを別にすると、酢飯のお蔭で食慾が削がれない。多くの場合、砂糖の入れ過ぎに感じられるのは残念で、梅干しを上手に使へばいいのになあ。種が刻んであるのは具合が宜しい。そのまま肴になる。後はお味噌汁とチーズがあれば文句は無く、かう書くと何故ここでチーズと首を傾げるひともゐさうだが、チーズはお酒と適ふし、味噌(汁)とも相性がよい。

 

 書くだけ書いたけれど、その"ちよつとした遊び"が實現するかの保證は無い。だとしたら中止になつたら書いただけで損になる。と考へるのは気に喰はない。従つて遊びに行くとしても行かないとしても、予定の日の朝は散らし寿司を喰はうと思ふ。案外と揚げ巻き、即ち助六になつてゐるかも知れないけれど、そこは"未ダ定マラズ"だから、かまふことはないでせう。