閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

685 好きな唄の話~TOKYO TOWER

 廿歳過ぎの頃だから、ざつと卅年余り前のこと。わたしも含めて女も男も混つたグループの中に、Oさんといふ女性…女の子と云つてもいいか、兎に角、Oさんがゐた。期待されては困るから先に云ふと、彼女とは何ひとつ、なかつた。いやそれは不正確で、たつたひとつ、角松敏生を教へてもらつた。Oさんは熱狂的なファンだつたので、煽られたと云ふ方がいいかも知れない。

 

 角松は併し、トーキヨー・タワーをキャピタル・オヴ・ジャパンの象徴として唄つたわけではない。それは性的なシンボル…と書けば解るでせう。

 非常に都市的で、洒落てゐて、非現實的なのだが、確かにさうであつて、それは殆ど直喩に等しい暗喩と云つていいのに、そのものずばりではない。タワーをシンボリックにあしらひつつ、前後の情景を描いてゐるから、聴き手にはこれも仄めかされた道ならぬ恋を想像する余地がある。或は想像を迫られる。佳く出來た短篇小説のやうなと云ふのが、褒め言葉として適当かどうかは兎も角、こりやあ廿歳の女の子が痺れるのも無理はない。

 

 歌詞を丹念に追ふと、男の身勝手な感情…もつとあからさまに情慾とも云つてもいい…が、あらはになつた箇所も見受けられる。尤も角松はその劣情に云ひ訳をせず、肯定も否定もしない。我われは再び(正邪の判定ではなく、ただ)、想像を求められ、迫られる。卅年前のOさんが、そのことに気が附いてゐたものか、不意に知りたくなつてきたが、残念ながらその術は無い。