『田宮模型の仕事』
田宮俊作/文春文庫
ポルシェの模型を造りたい。
さう考へてシュトゥットガルトまで飛んだ筆者は、組立て工程を見學して、綿密に取材を重ねたけれど(都合七回に渡つてドイツに行つたさうだ)、ボディ・シェルやエンジンの骨格が判らない。そこまで知りたくなつたのは、模型作りの工程に、實際の製造工程を重ねたいと考へたからで、骨格を知りたい一点の為、筆者はポルシェの購入を決断する。
乗るためではなく資料として買うのです。で、これをどうするかというと、分解するのです。
かう書いた筆者は更に續ける。
作業は企画開発部のスタッフが担当しました(中略)ピカピカのポルシェがジャッキアップされ、車輪もバンパーも、どんどんはずされていく。なんともいえぬ光景でしたが、おかげで納得のゆくデータを収集することができました。
感心しながら呆れて笑ふ、といふ経験はさう滅多に出來るものではない。この話にはちやんとおちまであつて、素人分解だから元に戻せない。ポルシェの整備員(目の当りにした整備員は目を点にして、あんたたち、何てことをやらかしたんだと文句を云つたらしい)を呼び、三日掛りで再組立てをしてもらつたさうだ。
忘れないうちに云ふ。田宮俊作はプラスチック・モデルのタミヤの二代目社長。細々と木工模型を作つてゐた會社を、世界的な企業に育て上げたひとと云つていい。
率直なところ、文章は巧くない。上に引いたとほり、口調は訥々としてゐるし、丁寧に書かうとしてゐるのは解るが、そこまでしなくてもいいですよと、押し留めたくもなる。併しと念を押さねばならないのは、詰らないのではまつたくない。寧ろ冒頭から最後まで、時間を掛けて讀み込めるくらゐに面白い。不思議だなあ。
一讀して判るのは、どうも田宮俊作といふひとは、不器用な数寄者だつたらしいことである。模型を作る樂みを届け広げる為に、かれが出來たのは、實物のある現場に足を運び、見て撮つて測つて触ることだけだつた。生眞面目とも愚直實直とも誠實とも、好きに呼んでいいとは思ふが、本人がそれを、ただの一度も感じなかつたらうことは確實である。
田宮は個人史と大きく重なるタミヤ史を書くにあたつて、文章の技巧には目を瞑つたにちがひない。そんな眞似をしても上ツ面になつて仕舞ふ。記憶と記録を元に、丹念且つ確實に、ひとつづつ書く。さうするしかなかつたとも云へるが、まつたく正しい態度であつた。要するに實物を見て撮つて測つて触つて、模型へと昇華させた手法の転用である。勿論本人がそんな風に考へた筈はなく、模型造りの習性が、骨の髄まで染み込んで血肉にまで変じて、筆を走らせたにちがひない。尤も實際がどうなのか、分解して中身を確めるわけにもゆかず、その意味ではポルシェより厄介と云つていい。