閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

714 令和四年が開いた話

 母方の祖父母が存命の内は、毎年正月二日に親族が集まるならはしがあつた。帰りに最寄り驛近くのレコード屋で、コンパクト・ディスクを買ふのも習慣だつたが、祖父母が西方浄土に行つて、そのならはしもお仕舞ひになり、箱根驛傳の見物が取つて代つた。勿論、テレ・ヴィジョン観戰。珈琲を飲みつつ、麺麭を囓りつつ、観る。さうしてゐたら旧い友人のエヌから電話があつた。師走に崩れた体調が戻つたから

 「急で済まんが、用件が無ければ、遊びに行かうず」

そこで考へたのは、たつた今観てゐる、箱根驛傳の中継は果して用件かといふ点で、我われ屡々、習慣を用件と勘違ひしないだらうか。わたしは無論冷静だから、"驛傳見物は習慣であつて、用件ではない"と解つてゐる。一時間後に会ふことにした。

 

 阪急電車で落ちあつてから、ひとつ問題があるのに気が附いた。例年ならふらふら歩いてから、天満の"てぃだ"に潜りこんで麦酒と焼酎を呑み、ソーセイジやポテト・サラドやザワー・クラウト、それからちやんぷるーに豚の角煮を摘む。併し正月二日に

 「"てぃだ"が開いてゐる期待は、持てンと思ふわ」

何年か前、エヌが師走にポリープの切除をした時に、年を跨いだことがあつてその際、"てぃだ"は閉つてゐた。ほら

 「ほんで、天満驛近くの何やらいふ(確か"肴屋"だつたか)、小さな呑み屋に入つたらう」

さう云つたらエヌも思ひ出したらしく、天満でも梅田でも何軒かは、正月客相手に店を開けてゐるだらうと呟いた。尤もな意見である。それで天神橋筋六丁目驛で降りた。商店街を天満驛方向に歩くと、まだ正午過ぎだからだらう、何となく閑散としてゐる。ただ開いてゐるラーメン屋や饂飩屋にはお客が入つてゐて、しよぼくれた感じはしない。

 そこから道を渡つて、中崎の商店街に入つた。薄暗い。呑み屋だのバーだの角打ちだのスナックだのが立ち並ぶ場所だから、当然の薄暗さと云つていい。どの扉にも謹賀新年の紙が貼つてある。旧年中は格別の御愛顧を賜り云々、新年は何日から営業します云々と書いてゐて(我らが"てぃだ"も五日が初営業とあつた)

 「流石にけふから開ける店はさうさう無いか」

 「まあ、場所が場所だけに、なあ」

少し道を逸れつつ、お初天神から東通りの商店街に入ると、随分と賑かである。要するに暇な大坂人が少からず、ゐるのだらう。我われだつて他人さまのことは云へない。

 大阪驛に隣接する地下街に、"八百富"といふ新品も中古品も扱つてゐるカメラ屋がある。冷かしたが、物慾の下顎を擽るやうな賣ものは見当らなかつた。"八百富"の名誉の為に云ひ添へれば、そもそもこちらに(中古も含めて)新しいボディやレンズを慾してゐない事情があつたので、さうではないひとが棚を見れば、またちがつて映るだらう。實はGRデジタルⅡに対応するワイド・コンヴァータがあればいいなと思つてゐたのだが、そこまで都合よくは進まなかつた。

 

 さて併し、この日の本題は呑むことにある。"てぃだ"が開かないのは確認済み。もう一箇所、目を附けてゐた"ケラー・ヤマト"も残念ながら休みで、頭を抱へたくなつた。

 「ちと、困つたかね」

 「待て確か」

さう云つたエヌと改めて、お初天神だつたか東通りだつたかの商店街に足を伸ばすと、"ニュー・ミュンヘン"の看板に灯が点つてゐたので、やれやれと安心した。サッポロ・ビール會社が運営してゐるビヤ・ホール(直接かどうかは知らない)だから、麦酒は美味いにちがひないし、摘みを期待してもよささうである。

 暫く待たされた。詰り相応に混雑してゐたからで、自分のことはさて措き、新年早々から呑みに行かうなんて、不逞の連中が多いものだと思つた。卓に案内されつつ

 「すみません、今夜は二時間限りに願ひます」

と云はれたが、麦酒を二時間呑み續けるのは無理である。坐つて献立表を暫し睨み、ヴァイツェン…港町ヴァイツェンとかそんな名前から始めた。摘みは鶏の唐揚げ、生ハムとベーコンのサラド、フィッシュ・アンド・チップス。乾盃して周りを見やると、家族連れが多い。それも三世代くらゐの集りで、會食の人数云々といつた話はどこに行つたのか知ら。口にすると、こつちに跳ねかへりさうなので我慢して

 「"サッポロのニュー・ミュンヘン"て(地名重なりだから)、ドイツ人にしたら、"ベルリンのニュー・トーキヨー"みたいに響くンかね」

エヌに訊くと、いやその前に

 「ドイツ人にミュンヘン云ふても、通じンのよ。あれは英語の音やからな」

正しい(と思はれる)發音を聞かしてもらつたが、文字に移すのは六づかしい。それは措いてニュー・ミュンヘンは語法として誤りでないと納得は出來た。納得しつつ唐揚げをつまむとこれが旨い。衣に下味があつて、麦酒に適ふ。

 「"ニュー・ミュンヘン"の名物」

だからなと教へてもらひ、添へてあるスパイスをつければもつと旨いとも教はつた。試すと確かに宜しい。サラドもまた宜しい。ドレッシングにチーズを効かせてあつて、唐揚げと同じく、麦酒との相性が考へられてゐる。それは宜しいのだがヴァイツェンを干して仕舞つた。お替りを呑むべし。意見の一致を見て、下面醗酵だつたかに黑麦酒を少し混ぜたのを註文した。舌触りがヴァイツェンより太くなつて、呑む順番としてまことに正しい。

 フィッシュ・アンド・チップスを摘みながら、チーズの盛合せを追加。更にサッポロの中ジョッキ。莫迦話は莫迦話だから、あちこちに飛ぶ。

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 ニコン

 ブルボンのお菓子に味覚糖の純露。

 ガンダムバルキリー

 エヌの倅がエヌに似てきた話(序でながら、お嬢ちやんは中々のやんちや娘らしい)

 冩眞の縦横比率の好みについて。

 儂らのおかん(とは大坂方言でいふ母親の意)は、儂らと異なる世界を見てゐるのではないかといふ疑念。

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 我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ、何を喋つてゐたのだと呆れ玉ふな。人間にはくだらない話題が必要な夜もあるのだ。

 尤もそれで予想外に時間を取られたのは、認めざるを得ない。ラスト・オーダーですどうしますかと訊かれたので(そこで大きなジョッキを註文したら、長居出來るものかと思つたが、礼儀を心得た男として、腹の底に押し留めた)、それではこれでと"ニュー・ミュンヘン"を後にした。麦酒だけなので少々呑み足りない。エヌの同意を得て、もう一軒行かうといふことになつた。

 意見が一致したのはいいとして、肝腎の店がない。いや何軒か、または何軒も暖簾は出てゐるのだが、お酒…我われが云ふのは焼酎やヰスキィで、さういふのを呑ませる場所が見当らない。灯りを点けてゐる大半が居酒屋でなければ、バルの類だから、こちらの好みにあはず、あはないのであれば無いのと変らない。店の側に立てば、蒸溜酒を主に扱ふのは商ひになりにくいし、なつたとしても正月二日から開ける気にはならないだらう。

 暫し歩いた後、ホワイティうめだの一角に、焼酎も置いてゐさうな呑み屋があつたので、潜りこんだ。店の名前は記憶に無い。そこで湯豆腐、鯣の天麩羅、苦瓜のちやんぷるー、醤油の醪(だと思ふ)を乗せたクリーム・チーズを摘みに、エヌは予定通り焼酎、わたしは泡盛ソーダ割りを呑んだ。云つておくと、店が変つても、莫迦話に変りはない。醉つ払ひとはさういふ生きものである。

 馴れた店で呑めないといふ、落ち着きの無さは確かにあつた。何しろエヌもわたしも量より質(この"質"は、"嗜好に適ふ"に近い)を重視し、目新しさより安定を喜び望む年齢になつた事情が大きい。とは云ふものの、"呑んでは醉つて莫迦話"の一点は例年と変りない。

 「お互ひ大概、爺になつたけどナ」

 「すりやあ、半世紀余つて生きとンし」

しやあないわな、と云ひながら、どうもどこかに、中學生高校生だつた頃の気分が残つてゐるらしく(呑んでゐるのに)、半世紀と云つても實感が伴ひにくい。かういふ気分を味はへる相手がゐるのは、人附きあひの苦手なわたしにとつて、稀な幸運ではないのかと思つたが、そんなことを口に出すのは憚られる。どんな事情で憚られるのかは考へない。阪急電車に途中まで…降りる驛がちがふからだが…同乗し、次回を約しておやすみを云つた。歩き方が惡かつたのか、左膝の裏側が痛くなつてゐた。