閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

719 好都合

 (寄席や寿司屋辺りで)(お客が脱いだ)下駄や草履の類を下足と呼んだ。ゲソクと訓む。元は履物自体を指してゐたのが足の意に転化して、更に烏賊の足の隠語になつた。その間のどこか、或はその後でゲソクからクが落ち、ゲソになつたといふ。従つて烏賊のゲソも、漢字では下足である。この稿では下足番との混同を避ける為、ゲソ表記で進めたい。

 旨いですな。ゲソに限らず、烏賊の調理には馴れが必要ださうだが(だらだら料ると堅くなるらしい)、こつちは摘む側である。料理人が煮た焼いた炒めたの、どれも旨いうまいと悦べば済む。気らくでいい。ゲソ…烏賊は"鱗の無い魚を食べてはならない"といふ戒律を持つ宗教では食べないと聞いたが、本当だらうか。戒律には戒律が成り立つ背景があつたと思ふのだが、たとへば保存や輸送で、衛生上の問題が發生したのだらうか。首を捻るのは、云ふまでもなくわたしがゲソに馴染み、また旨いと思ふからで、文化の溝とはこれを指すのか知ら。

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 麦酒でもお酒でも呑んでゐる卓に、ゲソの天麩羅乃至フライがあると、何となく安心する。さういふ揚げものは素材の鮮度が云々と眉を顰める讀者諸嬢もをられるだらうが、わたしが着く酒席である、まあその程度だなと、想像出來るでせう。お刺身で出せる新鮮さを求めないのは勿論、腐敗したゲソを使つてゐなければ、特段の文句は無い。何しろ卓が賑やかになるのがいい。一本(足だから数詞は本でいいと思ふ)を食べるのに、時間が掛かるから、中々減らないのもいい。その上、揚げたてでなくても(そこそこに)旨い。まだお代りは呑みたいし、肴も慾しいけれど、お腹は落ち着いてゐるやうな折、ゲソの天麩羅は(もしかすると、ほつけの塩焼きに匹敵するのではないか)まことに好都合である。