閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

722 漫画の切れ端~番外篇

 記憶に残る旧い漫画の話。

 

 令和四年が明けて直ぐ、水島新司の訃報を耳にした。ごく僅かな例外はあるが、漫画家として生涯、野球を取り上げ續けたのは驚嘆に値する。それだけの豊かさが野球といふスポーツにはあるのだと云つていいが、その豊かさを描ききつた点で、他のスポーツから嫉妬されても不思議ではない。その水島漫画で記憶に残る投手について記しておく。

 

 水島新司…ここからは御大と呼ぶが、御大好みが"剛球一本で打者をねぢ伏せる"投手なのは、『男ドアホウ甲子園』の藤村甲子園から変らない。変化球や投球術を活用した主人公は、『野球狂の詩』の水原勇気くらゐで、水原には女性といふ條件があつた。同じ『野球狂の詩』の岩田鉄五郎(ある短篇で長嶋茂雄に"ミスター"と呼ばせてゐたのは微苦笑を浮べざるを得なかつたなあ)は、衰へても直球勝負を捨てることは無かつたし、その嗜好は『球道くん』の中西球道で大完成を見てゐる。

 他にたれがゐるだらう。『一球さん』の真田一球は、『大甲子園』でアンダー・スローの速球派なのを示し(これは一球さんの強靭極まりない下半身があつてのこと、と本篇中で云はれてゐる)、『ドカベン』なら、東海高校の雲竜大五郎や横浜学院の土門剛介、通天閣高校の坂田三吉、土佐丸高校の"鳴門の牙"こと犬飼小次郎(土佐なのに鳴門とは、などと考へてはならない。御大の漫画である)、クリーンハイスクールの"背負ひ投げ"影丸隼人が直ぐに浮ぶし、怪我をしてゐなければ江川学院の中もさうだつたらう。

 変則的な投手は、砲丸のやうに重い球を投げる甲府学院の賀間剛介、フォーク一本でプロにもなつたいわき東高校の緒方、両刀投げの赤城山高校の"わびすけ"こと木下、得体の知れぬと云へば土佐丸の犬神了、それから犬飼兄弟の三男坊である室戸義塾の知三郎。チームとして獨特の投手起用を見せたのは薄暮の時間帯を狙つたブルートレイン学園、明訓高校の徳川元監督(明訓の監督を辞任する時、"ノンプロ秋田製紙に行く"と云つてゐたのに。序でながらこの飲んべ監督はクリーンハイスクールと室戸義塾でも監督を勤めてゐる)が率ゐた信濃川高校を挙げておかう。

 いや待て、たれか忘れてはゐまいか、と熱心な御大ファンは思ふだらう。いや忘れてはゐませんよ。水島野球漫画で、もしかすると最高の投手は、白新高校から日本ハムファイターズ(当時)に入団し、四国アイアンドッグスに移籍した不知火守だとわたしは思つてゐて、實は御大の描いた中では、かなり特殊な投手である。

 初登場は山田太郎が明訓高校に入學する直前で、最初の対決は一年夏の神奈川県大會。この時は"中學の頃から知られた超高校級の速球派"だつた。それが二年三年と進むと、速球は活かしつつ、多彩ですすどい変化球を身に附けただけでなく、(本人曰く"鎌のやうに")手首を鍛へ、速球と"蠅が止まる"とまで呼ばれる遅球を自在に投げ分けられるに到つた。この超遅球と速球はリリースの瞬間の手首で投げ分けが出來て、タイミングをすつかり狂はされた山田太郎を嘗て無い不調に追ひ込んだし、後年、日本ハム・ファイターズでのデヴュー戰(捕手は明訓出身の土井垣将)、開幕の対近鉄バファローズでは中村紀洋を投飛に仕留め、ノーヒット・ノーランを達成した時の決め球にもなつてゐる。詰り速球を得意としながら、変化球と超遅球を使ひこなす、知的で技巧的な投手。

 御大好みの剛球派が、前述の藤村甲子園や中西球道の投球と同じく単純勁烈で一直線、云はば葉隠風味の趣がある投手だと思ふと、不知火のやうなタイプが、山田最大のライバル(数字は取つてゐないが、印象としては殆ど打ててゐない)になつてゐるのは、實に不思議である。尤も御大はペンの流れに任せて描く傾向があつたらしい。何しろ下書きでは三振する筈だつた岩鬼正美が、ペンを入れたら本塁打をぶつ飛ばした(山田太郎曰く、"グワラゴワゴワゴワキーン"の"ゴワ"の数で、本塁打か安打か解るらしい)といふ。不知火守が水島野球漫画で特異な位置を占めたのは、もしかすると、さういふ御大の癖の結果かも知れず、だとすれば我われファンはそれを喜びたい。