閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

724 未完成の歓び

 勿論、呑むのが樂みにならない筈はない。併し呑むだけで済ますのは六づかしい。わたしの事情なのだが、麦酒でもお酒でも葡萄酒でも黑糖の焼酎でも、卓に摘みがないのは落ち着かない。呑みに行かうと思つた時に浮ぶのが、摘みの旨い店になるのは、当然の帰結と云つていい。断つておくと、脂つこくて、こつてりしたのが、たつぷりあればいい、とは限らない。たとへば鮪や牛の脂のところは忌避しないにせよ、ひと口ふた口あれば十分だと思ふ。すりやあ胃袋が爺だからだと云はれたら、反論は控へる。

 併し近年思ふのは、どこそこで何々を食べる嬉しさは勿論あるとして、寧ろどこそこの何々を食べに行くことを考へる樂みがありさうな気がする。有名だから安心して名前を出すと、[竹葉亭]の鰻でも、[駒形どぜう]の柳川鍋でも、[美々卯]のうどんすきでも、食べて旨いのは解つてゐる。それより前日の午后くらゐから明日は[竹葉亭]の鰻を喰ふぞと考へ、足を運んで店の暖簾をくぐるまでも愉快であつて…いや柳川鍋やうどんすきでなくても、たとへば明日はどこそこのお弁当を買はうとか蕎麦を啜らうとか、或は何々を作らうと考へるのも同じだし、もつと細かく、お味噌汁の種を豆腐にするか油揚げを入れるか、溶き卵を使ふか迷ふのも同じである。

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 呑み屋に話を戻しつつ繰返すと、呑みたいねえと思つた時に浮ぶのは、どの藏の何といふお酒…この場合は日本酒に限らない…の銘柄ではなく、なんとか屋の韮玉子だとか、かんとか亭の肉入り豆腐だとかが先に浮ぶ。いや我が親愛なる讀者諸嬢諸氏が、チーズをたつぷり使つたオムレツやトマトで煮込んだ牛肉、オリーヴの枝で焙つた羊肉を思ひ浮べても、文句は云ひませんよ。要するにさういふのがあつて、さういふのに合はせるお酒を考へる。麦酒を一ぱい、それでもつ煮かポテト・サラドを摘まう。それから烏賊のお刺身、或は大根おろしをたつぷり添へた玉子焼き、韮と大蒜を使つた炒めもの。お刺身ではなく、焼き魚にも惹かれるし、それだと玉子焼きの大根おろしが被つて仕舞ふ。あすこには温泉玉子を使つた摘みはあつたらうか。それにお代りは焼酎にするか、お酒にするか、案外と葡萄酒が似合ふかも知れない。

 といふことを、晝間から考へ、組立て、考へ直し組立て直し(メニュは讀者諸嬢諸氏のお好みで入れ替へなさい)、詰り何屋でも何亭でもいいが、お店を撰んでもゐるので、そこには財布の調子、天候、お腹の調子や喉の渇き具合、大将なり女将さんなりの客あしらひだつたり、たれか見知つた顔があるだらうかと思つてみたりするのも含まれる。頭の中で呑み且つ食べ、組合せを変更もするのだから、實に複雜で面倒で悩ましい。併しその複雑と面倒と悩ましさは、複雑と面倒と悩ましさゆゑの樂みと直かに繋つてもゐる。お酒も摘みも目の前に出て、呑み且つ食べて仕舞へば、そこで終りだが、辿り着く前、考へてゐる間は幾らでもお代りが出來る。小聲で云へば財布が軽くなることもない。いはば妄想…が露惡的なら、未完成の歓びと云つてもいい。それで満足に到れば、呑み助も悟りの域に達したと云へるが、醉へない計りか腹まで減るのは難点であらう。第一呑み屋の暖簾を見て踵を返すのは、ひととして如何なものか。