閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

725 先祖返り

 西洋料理ではなく、洋食だつた筈だと思つて確めたら、矢張り淺草の洋食屋が、明治の頃に始めたらしい。元の名前はミンスト・ミート・カットレット。ミンスト・ミートは挽き肉の意で、そのカットレット。それが訛りに訛つたといふ説がある。この手の食べものの常として、語源が明瞭になつてゐるわけではない。もの凄く乱暴に云へば、挽き肉をハンバーグのやうに丸めたのに、麺麭粉の衣を纏はせ、油で揚げたのがミンチカツ。偶に無性に何だか食べたくなる。

 では明治の洋食屋の大将は何故、ミンスト・ミートをカットレット仕立てにするのを思ひついたのか。その辺りも語源と同様に曖昧なのだが、どうせ屑肉を棄てるのは勿体無いからとか、そんな事情だつたかとわたしは睨んでゐる。日本にハンバーグがやつてきたのはその前だから、或は余つたミンスト・ミートの再利用だつたかも知れない。何といつても我が國には天麩羅の伝統がある。フライものを遡ると、何でも天麩羅に行き着くと考へるのは乱暴だけれど。

 ミンチカツの話ね、解つてゐます。

 食べたくなると云つても、しよつちゆうではない。大体いつ食べればいいものか。朝めしに出されて嬉しくないし、お晝の定食でフライものなら、鯵フライを撰ぶ。晩に食べるとして、ごはんに適ふのかどうか、ちよいと怪しい。かと云つてまづくはないし、食べたい時は確かにある。おやつにするのはどうだらう。罐麦酒を呑みながら摘むのは惡くない。最もわざわざ、ミンチカツを買ひに行きたくなりもせず、詰り實現の可能性はひくい。面倒な食べものだなあ。

 どこに理由があるのだらうと考へるに、ミンチカツを作つた洋食屋の大将が、きつとそこまで頭を使はなかつたのだ。

 「モダーンでハイカラ、然も洒落てゐる(らしいぞ)」

多分そこで終つて仕舞つて、とんかつに遅れを取り、ハンバーグに敗れ、コロッケに及ばないのは、そんな事情がありさうな気がする…と書いたら、熱烈なミンチカツ愛好家から、猛烈に抗議されるか知ら。併しミンチカツがもうひとつふるはないのも(残念な)事實であつて、ごはんでも麺麭でも、相棒を見つけ損ねたのが原因と推察しても、間違ひでもなささうに思へる。

 實際わたしがミンチカツを食べるのは、呑み屋の卓が殆どである。揚げたてが出るし、麦酒もある。その上片附けをしなくていいのだから、まつたく具合が宜しい。そのミンチカツ、わたしは最初からウスター・ソースをたつぷり使ふ。味附けのぽん酢や醤油もいいが、矢張り基本はウスター・ソースだらう。上からかけることもあり、半分に割つてミンチ…ミンスト・ミートの部分に注ぎ込むこともある。辛子があれぱなほよいが、贅沢は云ふまい。

 「折角の揚げたて、いきなり衣を潤びらかすなんて、乱暴な態度ぢやあないか」

とフライ愛好家は眉を顰めるだらう。フライ全般への対処として、原則的に同意を示したい。一方で同意を示しつつ、例外を認める必要はあると主張したくもあつて、ハムカツとミンチカツをそこに含めたいが為なのは云ふまでもない。

 思ふにミンチカツは、衣とミンチが、ウスター・ソースでとろけまざつて、完成する。それで我われが聯想するのはタルタル・ステイクである。ミンチカツの親族にハンバーグがゐるのは云ふまでもなく、そのハンバーグのご先祖筋に当る料理。賢明な讀者諸嬢諸氏はタルタルの語源が韃靼…タタールにあるのはご存知でせう。ロシヤ方面から見ると、甚だしく迷惑だつた騎馬人にとつての馬は、戰車であり輸送や伝達の手段であり、糧食でもあつた。筋張つた堅い馬肉を刃物で叩いて軟らかくして、かれらは食事にしたといふ。それをヨーロッパ式に洗練したのがタルタル・ステイク。刻んだ生肉に香辛料や香草に卵を混ぜ入れて食べるのは、異國野蛮の樂みが感じられたらうな、

 さてそのタルタル・ステイクの姿は、ミンチカツ…正確にはウスター・ソースで衣とミンチがとろけたミンチカツに繋がる気がする。と云つたら

 「聯想にしても無理やりが過ぎる」

苦笑されさうだし、自分でさう思はなくもない。併し(と居直るのだが)聯想…空想や妄想はこちらの勝手である。遠縁ではあるが、ご先祖と何代目かの子孫が、似た姿になると考へるのは、妄想の類であつても愉快な話ではないか知ら。わたしとしてはここで、タルタル・ステイクとミンチカツを卓に置いて向ひ合ふ明治の洋食屋の大将と、韃靼の騎馬武者を率ゐる大将ノ圖を見たいところで(絵心に欠けた自分が残念でならない)、さういふことを考へてゐたから、麦酒を引つ掛けながら、ミンチカツをやつつけたくなつてきた。腰を上げなくてはなるまい。