閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

726 小さい樂み

 知る範囲で云ふのだが、レンズ交換の出來るデジタル・カメラで一ばん小さなフォーマットは現在、マイクロ・フォーサーズだと思ふ。尤もそのマイクロ・フォーサーズは既に気息奄々、終りに近さうな感じもしなくはない。以前にはもつと小さなフォーマット…ニコン・ワンとペンタックスQがあつたが、どちらも数年くらゐで製造終了になつた。賣れなかつたのだな、要するに。

 では賣れなかつたのは何故だといふ疑問が浮んで、まあ簡単にスマートフォンのカメラ機能が、小フォーマットのデジタル・カメラを凌ぐところまで進んだからさ、と云へば大体は済みさうである。少くとも無視してかまはない要素とはいへまい。但し全部の理由と云ふには無理があつて、カメラ機能…正確に云へば、小さなフォーマットの暗いレンズでは無理な、"ぼけ"へのあくがれに押し潰された一面も、目を瞑れないのではなからうか。ワンもQも出た当初から

 「あの小さなフォーマットでは、"ぼけ"を樂めない」

莫迦な…失礼、間違つた批判が出てゐた。ニコンは生眞面目に大口径レンズを出したが、批判自体が誤りだつたもの、(レンズそのものの出來はよかつたらしいとは云へそれでも)意味のある対応とは呼びにくい結果になつたと思ふ。小フォーマットで"ぼけ"を期待し辛いのには、ちやんとした理由があるのだが、いちいちは触れない。ここでは粗つぽく、無理を押し通さうとした結果、不必要な高機能化と高価格化に繋つて仕舞つたのも、見逃せない理由になると思はれる。

 遊び道具としての面を強調したらよかつたのに。ニコンにもペンタックスにも当時から、作品としての冩眞を撮る為のカメラがあつたのは云ふまでもない。作品を撮るなら

 「ウチのD或はK何々を買つて下さい」

露骨に云はなくても、スタイルやレンズのライン・アップやアクセサリで感じさせは出來たらう。職業としての冩眞家は知らず、我われ素人衆は撮るより撮らない時間の方が長いのだから、その撮らない時間の手すさびになる工夫は必要だつた筈で、わたしが遊び道具の側面と云ふのはそこである。Qは頑張らうとしたみたいだが、色違ひなどと間違つた方向を撰んだのは残念と云ふ他にない。

 などと話を始めたのは某日、中古のQを目にした友人が

 「かういふの(とは勿論Qを指す)は、お前さん(これはわたしの意)の範疇と思てたンやがな」

と呟いたのが妙に残つてゐるからで、流石につき合ひが旧いだけはある。友人の指摘は、こちらの玩具好みを知つた、正しい發言と云つていい。Qの初代機が出た時、これは面白さうだと思つたのは確かだし、買ふに到らなかつたのは

 「玩具に払ふ値段としては、ちと高額であるなあ」

と判断したからに過ぎない。ここで改めて云へばQには、出た当初から

 「コンパクト・デジタル・カメラの受光素子を採用してゐるから(これは事實である)、"ぼけ"も画質も期待出來ない」

と、見当外れの批判があつた。見当外れと断じるのは、さういふのを求めるひとには、もつと大きな受光素子を採つたカメラがあつたからで、たとへばワンテン(といふ小さなフヰルムがあつたのだ)のカメラに対して、諸々がブローニー(といふ大きなフヰルムがあつたのだ)に劣ると評するのは莫迦げてゐるでせう。それと同じである。デジタル・カメラを評価するにあたつて、フォーマット・サイズを無視した比較をするのは大間違ひなんである。裏を返すとこのカメラに、画質を前提とした使ひ方を求めてはならんといふ話にもなりかねないのだが、そこは口を噤む。

 口を噤んで平気なのは、わたしの場合、Qに繊細な機能や性能を求めずともよいと思つてゐたからで、ペンタックスで開發を担当したひとは、憮然とするかも知れない。済まんと思ふが、当時も今も感想は変らない。その"当時"がいつ頃だつたか、念の為に調べると、Qの系統が賣られてゐたのは、平成廿三年から廿六年辺りと解つたから驚いた。こつちの時間の流れと、デジタル・カメラの時間の流れには、信じ難い乖離があるらしい。

 「詰るところ、時代遅れの旧式、といふわけだ」

併しさうあつさり結論附けられるのはこまる。令和四年から遡ることほぼ十年前なら、現役で使つても支障は出ないか出にくい機種の範疇である。GRデジタルⅡを現役で使つてゐるわたし程度には、と冠をつけておくけれど、さういふひとは外にも案外、ゐるんではないか知ら。

 「詰るところ、物慾を感じてゐる、といふわけだ」

さうあつさり云はれたら、頭を掻きつつ、その面が(色濃く)あるのはその通りと認めませう。積極的に探し求めたいとまでは云はないが、まあ出していいかと思へる値段のQがあれば買ふだらう。出してもいい値段が幾らくらゐなのかは、今のところ見当がつかない。

 そのQは金属外装の初代、ブラスチック製の二代目、受光素子を(ほんの少し)大きくした三代目、三代目の外見を変更した最後の四代目があつて、前期の二機と後期の二機に大別出來る。仮に今から手に入れるとして、どれにすればいいだらう。と悩まなくても、どれを撰んだつていい。わたしは広角好みだから、後期の機種にしたいが、さうでなくてはならぬと肩肘を張るほどでもなからう。標準の単焦点か標準ズーム・レンズのどちらかがあれば宜しい。外のレンズも廉に入手出來ればもつといいが、無くてもかまふまい。

 で。かういふのは、革か帆布のストラップ(首から下げるのでも手首を通すのでも)を附け、ケイスなりポーチなりに入れて持ち歩きたい。

 「時代遅れの旧式に、どうしてまた」

と訊かれたら、"レンズ交換が出來るデジタル・カメラのミニチュア"であるQには、寧ろ本格風を装はす方が、恰好よささうだからですよと応じる。さてここで。Qの初代機から最終機まで、姿が大まかに似てゐる点を褒めたい。それはボタンだけでなく、ダイヤルやレヴァを配置した姿で、ニコン・ワンはこの点で劣つた。Qには精巧に作られた玩具(まさかこれで冩眞が撮れるんですか)の感じがする。機能の方向で既に、完成し(尽し)た(と思はれる)デジタル・カメラに残つてゐるのが、機能とは別の樂みの提供とすれば、Qはその手本にもなり得たと思ふと云つたら、褒めすぎだけれど。