閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

728 ライカの完成形

 ライカの完成形と云へばⅡ型である。

 距離を合はしたら、焦点も合ふ。

 といふ構造を最初に組み込んだ機種であり、以降はその改善と拡張、または追加と見ても、間違ひにはならない。具体的に挙げませうか。

 

 Ⅲ型はスロー・シャッター、視度調整、ストラップ取附け金具の追加と距離計の改良。

 Ⅲaでは千分ノ一秒の追加。

 Ⅲbではダイカストの試験的な採用と、ファインダ位置の変更。

 Ⅲcでダイカストへ全面的に移行。

 Ⅲdはセルフ・タイマーの採用。

 Ⅲfでフラッシュ・バルブとの同調。

 

 Ⅲeはどこにいつたと云はれさうだが、この型番は存在しない。少くともわたしが見たライカ関連の書籍や資料でⅢeに触れた箇所を目にした記憶は無い。なのでそもそも存在しないのか、資料に残らない形であつたのかも判然とせず、ご存知の方には教へてもらひたいと思ふ。

 Ⅲgを忘れてゐるとの指摘もありさうで、確かにこちらは實在の機種である。『ドイツカメラの本』で、佐貫亦男は非常に高く評価してゐたが、わたしは気に入らない。但し気に入らないから省いたのではなく、機種の成り立ちが変則的なのだと指摘しておきたい。

 ライツ・ライカ愛好者のお歴々には自明だらうが、さうでない人びとの為、簡単に説明するとⅢfの後に出たのは、Ⅱ型以來の大幅な変更が施された機種…詰りM3だつた。

 

 バヨネット・マウントの採用。

 一軸で廻転しないシャッター・ダイヤル。

 ブライト・フレイム。

 

 更に巻き上げレヴァを導入したと云へば、変更より殆ど新機種に近い立ち位置と考へてもいい。ⅢgはⅢfに、そのM3から、ブライト・フレイムをフィード・バックして出來た経緯がある。露惡を承知しつつ云へば、新採用したバヨネット・マウントに対応したレンズが足りなかつたので、時間稼ぎに作つたのがⅢgではなからうか。と考へると、Ⅱ型からのトラディショナルな流れの中に、Ⅲgを置くのは無理がある。

 序でながら(佐貫亦男に逆らひつつ云ふと)、わたしがⅢgを気に入らないのは、ブライト・フレイムを組み入れた為、採光窓が必要になつて、正面からの姿が崩れたからである。どこがどう崩れたのだと気になるひとは、ⅢcかⅢfの正面と見較べれば、わたしの云はんとするところが解ると思ふ。

 

 (小聲で附け加へれば、Ⅲgへの批判はあくまでも、スタイリングの良し惡しに限つてゐる。そこの我慢が出來て、ライツ・ライカのねぢ込みレンズを存分に使ひたい一点で見ると、Ⅲgは寧ろ好もしい選択になるだらう)

 

 話を戻しますよ。

 優れた…後継に恵まれた、といふ意味…カメラは大体、最初の機種からその萌芽が感じられる。オリンパスのペン(云ふまでもなく銀塩の方である)、リコーのR1(現在のGRはここまで遡れる)、ハッセルブラッドのSWC、それにキヤノンのEOS Kissを挙げれば、成る程さういふことねと膝を叩いてもらへるだらう。かう書くと

 「その流れで云へば、ライカからⅡ型を挙げるのは、矛盾してゐるぢやあないか」

さう異論を持ち出すひとが出てきさうで、また型番で云へばその通りのだが、ライカⅠ型は試行錯誤と困惑の聯續(細かい仕様のちがひが、その間接的な證明にならう)で、有り体に云ふと、試作品を賣りながら、完成品に仕立ててゆかうと考へてゐたのかと疑ひたくなる。尤もその頃のライツ社は、ライカの造り方を知らなかつたから、止む事を得まい。

 

 要するに、ライカが試作品でなくなつたのはⅡ型からであつた。尤もレンズ交換が出來る、また当時の他社製機に較べれば、圧倒的に小型で軽量なカメラといふ方向性は、Ⅰ型のCに分類される機種が既に示してたけれども。何を云ひたいのかといへば、長命なカメラは、初代機からスタイリングの方向が正しく、後継機は足を踏み外さない。前述のリコーは幾つかのバリエーションを生み出したが、上からの眺めはほぼ同じで、たとへばGRデジタルを使つた経験があれば、別の機種でも操作の見当はつく。大したもので、その源流がライカⅡ型にあると見るのは決して間違ひではない。

 

 さてそのⅡ型。ライカを完成させただけではなく、寿命の長い…資料にもよるが、製造期間はおほむね十七年に及ぶ機種でもあつた。令和四年から遡れば平成十七年…GRデジタルの初代が發賣された年と云へば、その長さが想像出來る。銀塩カメラで比較すれば、ニコンF3ペンタックスLXがおよそ廿年、同じライカではM6の製造期間が約十四年。

 であれば、Ⅱ型は特殊な例と呼び難い。

 との主張も成り立ちさうだが、Ⅱ型の十七年には欧州の大戰の時期が含まれてゐる。記録上、二年ほど造られなかつた期間もあつた。F3やLX、勿論M6にも、さういふ不幸な時間は存在しなかつた。我われは平和を喜ばなくてはならない。ここでは生臭な話には踏み込まず、ドイツ光學産業…完成に到つたライカの粘り腰と賞讚したい。

 

 それは兎も角。戰前に造られたⅡ型に目を向けると、ドイツ式ハイカラ青年のやうな身軽さが感じられる。それは冩眞機と冩眞の技術と冩眞そのものが、時代と密着してゐた…現代はちがふのかと訊かれたら、今は個人と密着してゐるんですよと応じたい…からではならかうか。残念ながらかういふカメラ(冩眞機と呼ぶ方が似合ふか)は、造らうとして造れるものではない。同時代のエルマーやズンマーと外附けのファインダで、残り香を嗅ぐくらゐは許されると思ふが、えぐみのある惡趣味と云はれさうでもある。