閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

739 理想的な肴

 いつの夜だつたか忘れた。

 お店の名前は覚えてゐるが、狭い立ち呑み屋なので、出さないことにする。

 一軒目に…少くとも空腹で入る場所ではない。麦酒で唐揚げを平らげた後、さて腰を据ゑて呑むとするかと、さういふ時に具合がいい呑み屋なんである。

 お鉢に色々の料理が盛られてゐて、そこから好みの三種を選ぶ。それがちまちました細長いお皿に乗つて出るのが何とも嬉しい。冷酒を含みながらつつくことが多いから、さつき料理と云つたのは、肴と訂正しませう。

 葱を炊いたの。

 蛸の白子。

 ポテト・サラド。

 蓮の金平。

 玉子焼き。

 各種のお漬けものや酢のもの。

 どうかすると、混ぜごはんのおにぎりや、お猪口に入つたお味噌汁やおでんが用意されることもある。尤も滅多には無いから、食事を前提にするのは六づかしい。

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 画像の三点は、春雨の酢のもの(中華風)、蛸と若布の酢のもの(和風)、肝を炊いたの。酢のものを二点にしたのは、春雨と蛸の歯触りのちがひを樂みかつたからだと思ふ。もうひとつ、肝の味はひを踏んだ事情もある。

 果して肝は濃厚でしつこくはなく、やはらかな出來。炊き方が巧妙だつたのだらう、厭な匂ひも無い。摘みながらこれはもしかすると、世界に数多い肴の中でも、理想的な味はひではあるまいかと思つた。別の夜に摘んだら、また異なる感想になつたかも知れないけれど。