閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

741 厭な単語

 我が親愛なる讀者諸嬢諸氏にどう思はれてゐるかは知らないが、わたしはこれでも、言葉…単語の好き嫌ひが烈しい。字面や聲にした時の響きが、どうにも我慢ならない語はあるもので、それらが他人さまより多いんだと思ふ。中でも"B級グルメ"が気に喰はない。たれが云ひ出したのか、言葉への感覚が余程をかしくなければ、ああいふ不快な単語は飛び出さないと断定しても、反論はされまい。

 

 先づ"グルメ"から云ふと、"美味しいもの"の意味で使つてゐるらしいが、本來は"美食家"を指す。"美味しいもの"であれば、"グルマンディズ"を用ゐるのが正しい。まあ併しこの点は、外來語の意味が混乱し、変容するのは、止む事を得ないと弁護するひとが出るだらうし、そこは原意を知つておかうと條件は附けつつも、同意を示す。我ながら公平な態度だなあ。但し"グルメ"でも"グルマンディズ"でも、頭に"B級"が附いた途端に胡散臭くなる。"B級"だから、"A級"や"C級"がある…暗に想定してあると考へられて、ではABCの区別はどこで附けるのだらう。

 

 "B級グルメ"のコンテストだかで撰ばれた食べものを見ると、焼そばやラーメンやもつ煮、或は何とかライスと呼ばれる類が散見される。どうやら大掴みに

 

 イ:廉な材料を用ゐた(地域の特産品を使ふなら、なほ好もしい)

 ロ:(比較的)簡便な調理法の

 ハ:(そこそこに)旨い

 

食べものを指すらしい。ことにイとロが重視されてゐると思はれる。もう少し突つ込むと、(お店で出す)値段が線引きになつてゐる気配が濃厚で…曖昧な印象は拭へない。当り前である。高いのと廉なの、旨いのとまづいの、口に適ふのと適はないのは、全部別ものなのに、我われは屡々それを忘れて仕舞ふ。マーケットで割引シールの貼られた牛肉も、少し手を掛ければ、"B級"呼ばはり出來ない御馳走になる。その牛肉料理は果して"B級"なのか"A級"なのか。

 

 要は"グルマンディズ"…美味しい食べもの…にABCの区分を設けること自体が誤りであるし、無理に区分を附ければ、それは美味しい以外の條件が入り込む。従つて区分を成り立たせたとしても矛盾が生じるし、それは残り續ける。たとへばよく出來たもつ煮を食べて、内臓料理は肉料理に較べれば格がひくい、これは"B級"だなどと云つたら、舌でなければ頭のどこかに何かしら、不具合がありさうだと疑つて(或は断じても)いい。

 

 "B級グルメ"の字面が気に入らない。

 アルファベット+漢字+外來語(それも正しい用法とは呼びかねる)の不安定さ。また上でも触れたとほり、"B級"と"グルメ"の意味合ひの矛盾した感じが、旨さうではない。

 "びー きゆう ぐるめ"の發音も惡い。

 軽佻浮薄に濫用された分を差引きしても、コンテストにつき纏ふ胡乱くささと商賣つ気が、差引き分を補填してゐる。詰り舌に乗せたい音ではない。

 

 ああ。ここで云つておくが、コンテストに入賞した、焼そばだのもつ煮だのをくさすのではまつたく、ありませんよ。山梨甲府の鶏もつ煮なんて、ねつとりと濃厚な甘からは、ごはんに適ふのは勿論、肴にしても實にうまい。あれは是非一ぺん機会を作り、甲州葡萄酒との組合せを試さなくてはと思ふ。きつと辛くちの白に似合ふだらう。併しそれを

 「お待たせしました。甲府の"B級グルメ"であるところの、鶏もつ煮です」

などと出されたら、どうだらう。嬉しいねえとか、旨さうだなあとか、その気分の何割か、削られさうな感がある。勘違ひだよと云ふひともゐると思ふが、呑み喰ひの味には、さういふ勘違ひも含まれる。

 勿論、"B級グルメ"の冠を利用する方法はあつていい。けれどさうするには余つ程、したたかでなくてはならず、わたしが知つてゐる(広いと云ひにくいのは認めませう)範囲で云へば、流行りに乗れば賣れるんぢやあないか、といふ安直から抜け出た實例は無い。

 

 何故か知らと頭を捻るまでもなく、冠があれば観光客を呼び、地元を潤はせる程度に、商賣が成り立つ(少くともその期待は持てる)からである。それで我われは文化といふ言葉を思ひ出す必要がある。司馬遼太郎の言を閑文字式に解釈しつつ云へば、地域性…気候や風土、農水産物、信仰、風習、歴史に基づいたローカルの総体。

 かう書けば、ある食べものが、その地域の文化と呼ばれるには相応の、相当の時間が求められると推察出來る。京都のお漬けものや奈良のお酒が旨いのは、千年掛けて磨かれたからで、冠慾しさでもお金儲けでもなく、食卓や酒席にそれが求められてゐたからと云つていい。詰り正しい意味での"グルマンディズ"…即ち伝統である。

 別に我が國に限つた話ではなく、たとへばドイツの麦酒とソーセイジの組合せを思ひ浮べれば、納得出來るだらう。仮にでも、バイエルンの"B級グルメ"と称して、ソーセイジと馬鈴薯と豚の内臓のもつ煮を作つたら、旨いかどうかは別として、袋叩きにあふのは間違ひない。それが正しくまた望ましい態度なので、やうやく解つた。わたしが"B級グルメ"といふ単語を厭ふ理由を煎じ詰ると、歴史…時間や伝統への敬意を投げ棄てた語感があるからで、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏にも同意してもらへるのではなからうか。