予め云つておくが、今回は反則である。
題名を目にして、我がすすどい讀者諸嬢諸氏はきつと、すりやあチック・コリアだらう、唄ではないぢやあないか、と呟くにちがひない。
確かにその通り。
この稿で取上げるのはチック・コリアのトリオとボビー・マクファーリンが組んだ『Spain』で、だから最初に、今回は反則と云つたでせう。
もうひとつ實は反則があつて、ボビーは決つた歌詞を唄つてゐるわけではない。スキャットと云ふのか、アド・リブと云ふのか知らないが、兎に角、ファルセットでメロディを唄ひ、口笛を吹き、マイクを自在に操つて…譬喩ではなく、聲が樂器になるなんて、思ひもしなかつた。
ああいふのは、どうやつたら出來るのか知ら。
たれでも簡単に出來るくらゐなら、あのピアニストと同じ場所に立てないのだから、不思議に感じるのは寧ろ、当然なのだけれど。
それにボビーの聲は樂器と云つても、その音は確かに唄でもあつて、藝だなあと…これは讚辞として云ふのですよ…呟かざるを得ない。才能だと決めつけたいところだが、ことはきつと、さう単純に収まらないだらう。
ややこしくは考へまい。世の中には分析を投げ出し、うつとり溺れるだけで満足する音樂…唄が稀にあるもので、チックとボビーの『Spain』は、その稀な實例に含めていい。