閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

751 恵まれない

 さう云へば最近、烏賊を食べる機会に恵まれてゐない。

 お刺身や早鮓。

 沖漬けや塩辛。

 焼きにフライ。

 或は諸々の中華式炒めもの。

 食べたことはないが、スペイン人やポルトガル人も烏賊を料るさうで、きつとオリーヴ油と大蒜と唐辛子をたつぷり使つた、旨い一皿なのだと思ふ。イタリー人もスパゲッティに用ゐるし、ギリシア人はどうだらう。多島海文明の人びとが蛸を好むのは知識にあるけれど。

 

 かう書く時、わたしが烏賊を好むのは云ふまでもなく、ところで烏賊は旨いのだらうか。

 新鮮な烏賊は確かに、香りも歯触りも舌触りも、粘りの中に蕩け、兎に角快い。遠戚にある筈の蛸と、まつたく異つてゐるのは何故か知ら。蛸がまづいと云ふのでは勿論なく、不思議だなあと思ふ。尤も残念ながら、新鮮な烏賊にありつける幸運なんて、滅多に無い。

 

 さうなると、烏賊の悦びは、堅いのだか軟らかいのだかが曖昧な歯触りに集約される。味や香りは、塩胡椒や韮や大蒜の担当となつて、水揚港近くに住んでゐない我われの前に出る烏賊は、さういふものだと思はざるを得ない。

 但し"さういふ烏賊"がまづいのかと訊かれれば、それはそれで旨い気がする。午后の罐麦酒に烏賊焼きなんぞがあれば嬉しいし(さう云へば、コンヴィニエンス・ストアで烏賊フライを賣らないのは奇妙である)、晩酌の一本に蛍烏賊が焙られたり、沖漬けになつて出てきたら、豪勢だなあと頬が弛むのは間違ひない。

 

 簡単に烏賊を樂むなら、漬け込むのがいい。

 大葉でお刺身をくるみ、醤油…煮切つたお酒か出汁でのばすのがいいと思ふ…に半日くらゐ。大葉を刻んで、烏賊と混ぜるのも方法である。仕上げに好みで生姜を加へるのも宜しからう。中華風やイベリヤ風のソップだか何だかで、同じ方法が使へるかは判らない。香草で包んで燻製にしさうな感じはするが、實際はどうだらう。

 とは云へ、漬けてから食べるまで、間が空くのは気に入らない。たれかが漬けてくれる期待を持つのも六づかしいことだし、ここは罐麦酒を片手に、鯣でもしがみませうかね。

 

 矢張りわたしは、烏賊に恵まれてゐないらしい。