閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

756 曖昧映画館~別館

 記憶に残る映画を記憶のまま、細切れに書く。

 

 昔…さうですな、昭和の末期辺りだから、四十年近く遡つたくらゐ…、巷間にはポルノ映画館といふ建物があつた。ピンク映画とも云ひましたな。秘密の上映會に掛つたのはブルー・フヰルムと呼ばれた筈だが、そつちには縁が無かつた。

 何でまたわざわざ、そんな場所へと苦笑ひを浮べるひとはわかい。当時はアダルト・ヴィデオが普及する直前と云つてよく、"動く女の裸"を目にする機會は實に少かつた。家庭用のヴィデオ・デッキは十万円以上したし、ヴィデオ・ソフトだつて一本が一万円とかが当り前だつた頃、健全な青少年にとつて、エロは先づ印刷物だつたんである。

 

 北攝住ひの健全な青少年のひとりだつた(エロに興味を持たない青少年が健全であるものか)わたしは、時折ポルノ映画館に足を運んだ。大体は梅田。稀に十三。映画館は二軒だつたか三軒、新御堂筋沿ひに堂々と並んでゐた。和ものはにっかつ、洋ものは新東宝かオークラの配給だつたと思ふ。切符代は幾らだつたらう。はつきりしないが兎に角、一般の映画より多少廉だつたのは確かである。尤も何を観たかは丸で記憶に無い。我ながら酷い話だと思ふが、おつぱいとお尻が揺れるのを目にしただけで、満足したにちがひない。初心と云へばうぶであつたねえ。

 

 ポルノ映画は大体三本立て。題名は"うずうず"とか"むれむれ"、"むちむち"辺りの畳語と、"看護婦"や"未亡人"や"セーラー服"が合体してゐて、さう云へば"色情狂"なんて単語もあつた。もうひとつ、宇能鴻一郎団鬼六、山本奈津子に小田かおるなど、個人の名前(因みに云ふ。前二者は小説家、後二者は女優)を冠することもあつた。こちらは余程でないと附けられなかつたと思ふ。まあ大体の場合、ポルノ映画館の前には、似たりよつたりの題名がずらずら並ぶわけで、これにはまつたく、困らされた。

 何しろ事前の情報が何も無い。若ものに念を押すと、当時はインターネットなどといふ便利は想像の外だつたし、情報誌…『エルマガジン』とか『ぴあ』はあつた。併しそこにポルノ映画館の上映予定は載つてゐても、細かいことはぜんぜん判らず…要するに入るかどうかは、看板に書かれた題名と女優の名前を素早く確めて決断する以外の方法がなかつた。有り体に云へば山勘、博奕であつて(後にレンタル・ヴィデオ屋でも、同じ悩みを抱へるのだが、それはさて措き)、令和の視点に立つと、古老の話だなあ、これは。

 

 ここで自分に都合よく、記憶を補正しながら云ふのだが、ポルノを手に入れるには不便なくらゐで、丁度いいのではなからうか。わざわざ出掛けて、周りを伺ひながらこつそり入り、また周りを伺つてさりげなく(さう装つて)出る。かういふ"こそこそ感"が、ヘテロ・セクシュアルだらうが、ホモ・セクシュアルだらうが、サド・マゾだらうが、エロには欠かせない。今にして思へば、ポルノ映画館はその象徴的な場所だつたと思ひたくなるのだが、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には如何思はれるだらう。