閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

760 西上臨時列車

 五月の二日と六日は平日だが休みになつた。

 それで四月廿九日から五月八日まで、十日間の連休が出來ると気が附いた。

 成る程と思つた。

 何に納得したのか、我ながらよく解らないけれど、成る程と思つたのだから仕方がない。

 成る程と思ひながら確めると、この期間の東海道新幹線は繁忙期ださうで、腹立たしくなつた。繁忙…忙しいのはお客が沢山、東海道新幹線に乗るだらうからで、詰り稼ぎ時と云へる。別にその間だけ、電気代が割高になるわけでらない。お客が増えれば切符は取りにくくなるし、車内は混雑する上に、運が惡いと席に坐れても手洗すら使へない。そのくせ高い切符代を吹つ掛けるのは、阿漕な態度である。

 腹立たしければ乗らない判断もある。ありはするけれど、折角休みが十日間續くんだもの、西行きの臨時列車を走らさうかと思ひついたので、前後したが色々確めたのは、さういふ事情による。

 西上にあたつては例年末、こだま號の廉な切符、"ぷらっとこだま"を買ふ。"居酒屋 こだま號"と称し、東京驛を出て新横浜驛を過ぎた辺りから、米原驛辺りまで、幕の内弁当やチーズを摘みに、麦酒や葡萄酒をやつつける。居眠りもする。上の事情をもう少し詳しく書くと、その"居酒屋 こだま號"を臨時に開店さすのはどうか知らと思つたんである。

 "ぷらっとこだま"の切符代は、通常だと一万と八百円。

 これが繁忙期に入ると、千六百円高の一万二千四百円。

 のぞみ號やひかり號の繁忙期価格は更に高額だし、一万二千四百円でも、のぞみ號ひかり號の通常価格より割安なのは判るが、判るのと阿漕だなあといふ感想は矛盾しない。馴染んだ値段と千六百円の差額は、惡くない純米酒の四合壜を奢れるくらゐ(流石に葡萄酒ではやや厳しい)だし、幕の内弁当でも気張つたのを撰べる金額なんだと思へば、さうさう莫迦に出來たものではない。

 さて阿漕は何とか我慢して、"ぷらっとこだま"の切符を買ふと決めても、もうひとつ困つたことがある。これまでは新宿驛西口から少し歩いた場所のJTBで手配する習慣だつたのに、そこが閉店して仕舞つた。近辺に取扱店はあるけれど、習慣が崩されるのは、どうも困るし、気に入らない。

 何をまた言ひ掛りを。

 自分でもさう思ふ。併し自慢する積りではなく云ふと、わたしは方角莫迦なので、見知らぬ場所を目指すのがたいへんに苦手なんである。車を運転する友人は、地図をちらりと見るだけで、大体の経路が頭に浮ぶらしく、あれは特殊な才能なのではないかと思ふ。かれらに云はせると、路に迷ふ方が寧ろ、信じ難いさうだけれど。

 空間を把握する能力が欠如してゐるのだな、わたしは。

 乳母日傘の坊ちやん育ちは、道筋を覚える必要に迫られないから、空間把握が下手になる、といふ説を耳にした記憶はある。然もありなんと思ひはするし、わたしが祖母に甘やかされたのは事實でも、所謂お坊ちやんと云へる少年でなかつたのも事實であり…詰るところ、よく解らない。今さら直るものでないのは、確實である。

 能力の欠如はさて措き。"ぷらっとこだま"に乗るかどうかを考へつつ、ふと調べてみたら

 [伝教大師 1200年 大遠忌記念 特別展 最澄天台宗のすべて]

といふ長たらしい、併し気になる展示(代金は千八百円)が、京都の國立博物館で開かれてゐることがわかつた。天台…叡山に対してわたしは、鎌倉期を経て現代に到る佛教思想群の淵源であり、ある時期までのローマ・カトリックのやうな、俗で生臭な宗教勢力でもあつたといふ両極端な印象を持つてゐる。足を運ぶかどうかは兎も角、その気になれば行き易いのは東京より大坂なのは改めるまでもない。"ぷらっとこだま"の切符を買ふ動機としては十分だと思ふ。具合のいい時間帯を買へればよしと決めて…繁忙期分の価格差が、ほぼ観覧代と気附いてまた腹立たしくなつた。

 併しさう都合よく話は進まない。"ぷらっとこだま"の混み具合を見ると、丁度いい…"居酒屋 こだま號"を開き易い…時間帯は、グリーン車の一部を除いて満席であつた。

 舐めてゐたなあ。

 反省したがもう遅い。グリーン車を奢れなくはないにしても、繁忙期の価格なら、当り前にひかり號やのぞみ號に乗る方が賢明とも思へてきた。第一、これは臨時列車である、何がなんでも運行しなくてはならない性質ではない。散々考へた挙げ句、ひかり號かのぞみ號で、丁度いい時間帯の指定席が取れれば乗らうと決めて、券賣機に行つた。

 我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には御承知と思ふが、新幹線の切符は自動券賣機でも買へる。指定席も撰べて、さうしたら四月廿九日は十三時過ぎののぞみ號に、二人席通路側の空きがあつた。喫煙室と手洗ひを使ふ都合で、その方がいい。自由席でもいいかと考へ、他の時間帯に満席が多いのを鑑みて指定席の方が安心かと判断した。指定の代金も含めて一万四千九百廿円。廉に馴れた我が身に目を瞑り、矢つ張り阿漕だなあと思ひつつ帰宅した。

 のぞみ號は速い。切符を確めると、新大阪驛着到は十五時四十分頃の予定だから、少々驚いた。こだま號の気分で"居酒屋 のぞみ號"を開くには短すぎる。東下の新幹線で経験をしてゐるのに、と自分に云ひ聞かせても、下リは仕事…日常に戻るのが目的だから、速くないとこまる。併し西上は西へ行くこと…移動自体が目的なので、速さはさして重要ではなく…さうださうだ、と手を拍つてもらへさうにはない。

 さうなると何を呑み、また食べるかが問題になる。幕の内弁当を買つて、おかずを暢気にだらりと摘みながら、罐麦酒から葡萄酒へ移つてゐたら、京都驛を過ぎ、降りる準備をしなくてはならなくなる。食事は先にかるく済ませ、車内ではサンドウィッチ、後はナッツなんぞで罐麦酒を呑む程度で収めるのが、のぞみ號には似合ひであらう。さう云へば東下に際しては、新大阪驛でビーフ・カツのサンドウィッチと罐麦酒を買つて、丁度いい具合だつたのを思ひ出した。

 その廿九日の東京は朝から肌寒く、暑いのと湿るのはきらひだから、それはいいとして、天気予報を聞くに、どうやら雨が降りさうな気配がする。雨までは望んでゐない。珈琲を啜りながら、さつさと家を出て損はすまいと考へた。一体わたしは時間に臆病なたちで、早々動くのに苦は感じない。

 東京驛で在來線から新幹線に乗継ぎが、恐ろしく混雑してゐたからびつくりした。券賣所には列が出來て、JR東海か東日本の社員が、けふの指定席は賣りきれですと聲を張り上げてゐた。してみると指定券を買へたわたしは、運がよかつたらしい。阿漕云々を横に置いて安心したのだから、自分でも調子がいい態度だと思ふ。

 そこでひどく空腹を感じたのは、予定外であつた。新幹線には代謝を高める効能でもあるのだらうか。尊敬する内田百閒は、腹が減つたを好んださうで、わたしは未だその域に達してゐない。私淑してゐる身としては情けないけれど、止む事を得ず、鶏照焼き重(八百九十円)を買つて、のぞみ號に乗り込んだ。隣の三人席には國際結婚とおぼしき夫婦と、をさな子ふたり(お姉ちやんと坊や)、來日しただらうご主人の祖母(發音から察するにフランスのひと)が坐つた。微笑ましいなあと思ひながら、品川驛を出たら、先刻の鶏照焼き重を食べることにした。罐麦酒を忘れず買つてあつたのは、改めるまでもないでせう。