閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

779 波の姿

 お酒を呑む…ここでは日本酒を指している…以上、肴を欠かすわけにはゆかない。酒肴という素敵な熟語もあるくらいで、お酒と肴は金剛界と胎藏界のように、不二と云える…と書いたら、お大師さまの周辺から咜られるだろうか。併しうまいお酒は肴を呼び、佳い肴がお酒を求めるのは、呑み助ならたれでも知っている。世を遍く照す大日如來さまの宇宙を聯想するのは、筋が通った譬喩とも思える。

 大体の食べものは肴になる。ささやかな経験で云えば、葡萄酒に適えば、お酒に替えてもまず文句はない。もっと云えば、葡萄酒は赤白を細々撰ばなくてはならないのに、お酒なら気に入りの銘柄がひとつあればいい。優劣を論じるわけでないのは勿論で、何とかのローストや煮込みに似合いの葡萄酒を教わるのだって、樂いではないか。

 話をお酒の方向に戻す。色々の見方や好みはあるとして、お酒との組合せで安定するのは矢張り、和食というか和風というか、そういう風に料られた食べものでしょう。そうは云っても和食和風だって、挙げてゆけばきりがない。なのでこの稿では思いきって

 「迷ったら、烏賊」

なのだと云っておく。いや無理はしていませんよ。烏賊は實際、どこをどう料ってもうまい。お刺身はもしかすると鰤と鮪の赤身を除いて一ばん好きかも知れず、筒に焼いた香ばしさはまったく好もしい。袋詰めの鯣だって侮れない。

 併し白状すると、数ある烏賊料理の中で、何をおいてもそそられるのは、蛍烏賊の三文字なんである。と書いてから話を逸らすと、富山だったかの記念物だったか("だったか"が重なるのは勘弁してもらいたい)に、"蛍烏賊が發光する波"がある。あの生き物はある時期に發光して海を輝かすそうで、たいへん美しいという。

 「記念物に値する」

 「そうだ、そうだ」

富山人が思ったところに、蛍烏賊を記念物にしたら

 「蛍烏賊を、獲れなくなりますよ」

と横槍が入った。聞いた話だと、行政が口を挟んでそうなったと云う。波の様子を登録すれば、蛍烏賊は獲っても問題にならないから、だそうだが、そういう洒落た嘴を政府…行政が挟むものか知ら。担当者が富山人か蛍烏賊の熱狂的な愛好家だったら、有り得るし、そうだったら嬉しいけれども、伝説だろうね、きっと。

 何年前だったか、大規模なお酒の試飲會で、蛍烏賊の干物を食べたことがある。富山のお酒を試しつつだったのは勿論で、当り前のことを云えば、相性も宜しかった。思い出すとそれまでも知っていた筈の烏賊のうまさが、お酒に似合うと實感した、直接の体験はあの干物だった気がする。富山のひとに云わせたら

 「丸太は何も判っていない」

ことになりそうだが、それは寧ろ、富山の海に恵まれているから云える話なんです。一ぺんは直に食べなくちゃあと思ってはいても、軽がる足を運べるほど、お財布の中身にも時間にも余裕が無い。

 そこで有難いのは呑み屋という場所で、げその天麩羅だの焼き烏賊だのなら、さほど珍しくない。も少し肴に凝った呑み屋だと、蛍烏賊を沖漬けで出してくれる。品書きにあると嬉しくなるね、まったくのところ。嬉しくなるというのは、註文せざるを得なくなることでもあって、こういう時は冷やがいい。元來が保存用途の食べものだから、がっつく必要はなく、我が若い讀者諸嬢諸氏には、些か退屈やも知れない。摘んで呑んでを、ゆっくりと繰返すのは、齢を重ねないと解らない酒肴の組合せというやつで、もしかすると富山の湾の波は、そんな姿なのだろうか。