閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

784 梯子どんたく~準備篇

 澤乃井に行くには当然、電車を使ふ。

 頴娃君が可及的速やかさで予約してくれた藏の見學は、午前十一時の回だから、そこに合はせなくてはならない。澤乃井に行く為の最寄は、青梅線の沢井驛で、青梅線は本数が少い。先行して時刻表を確める必要がある。わたしの場合、旧國鐵の中野驛が起点になる。

 午前九時十二分發の青梅特快に乗ると、立川を経由して青梅着が十時七分。同十三分青梅發に乗つて、同卅二分に沢井着。十時十三分青梅發を逃すと、次の沢井着は十一時を過ぎる。それは困る。併し青梅特快を使ふと、乗車時間が凡そ一時間になる。お腹がよはくて小用のちかい身としては、青梅驛まで我慢するのは無理な気がする。仮に我慢出來ても、青梅驛の御手洗ひは、好もしい綺麗さではないから、使ふなら立川驛にしたい。

 考への方向を変へると、要は青梅十時十三分發に間に合へばいいのだ。それには立川九時卅六分發(おそらく上述の青梅特快)に乗れればよく、そこ為に八時五十八分の中野發中央特快に乗れば、立川は九時十九分着。これなら御手洗ひを使ふのに、支障は出まい。残るのは八時五十八分發に乗れるかどうかの一点だが、仮に乗り損ねても、中野驛で御手洗ひを使ふ程度の余裕はあるだらうし、青梅特快には間に合ふ筈でもある。安心した。

 

 ダイヤグラムの件は片附いた。

 次はカメラを持つかどうかで、中々に悩ましい。自分で云ふのも何だが、持ち出しても使はない気がされてならない。荷物は少くかるくが望ましい。かと云つて、スマートフォンに任しきつていいのか、と云はれたら、それもちよつとなあと思ふ。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏に念を押すと、苛立つてゐるのではなく、迷ふのを樂んでゐるので、呆れてもらつてかまはない。

 最初に常用のマイクロフォーサーズから一台、持ち出さうかと思つて、直ぐに却下した。使ふかどうかの可能性に対して嵩張りすぎる。フヰルム・カメラも同様の理由で却下。それに今回は撮影が目的ではないから、持ち出して使はなくても気にならない程度の軽さがいい。さう考へると、GRデジタルⅡが好ましい撰択になりさうだし、確かに申し分もなからうが、あのカメラには生眞面目な雰囲気がある。生眞面目が惡いのではなく、今回のどんたくの主旨からは少々、外れてゐる。カメラの責任でないのは、云ふまでもなからう。

 函を掻き回すと、ニコンのクールピクスS640があつたから驚いた。忘れてゐたんである。簡単に云ふと、五倍の光學ズーム・レンズを搭載したコンパクト・デジタル・カメラ。現代の目で見ると受光素子はごく小さい。その分、筐体もごく小さくて、鞄の隙間にはふり込んでも邪魔にならない。使へば便利だらうし、使はなくても負担を感じはすまい。忘れてゐたのは、記憶の隙間に潜り込んでゐた所為か。ぎりぎりでの変更はあるとして、ひとまづはS640に決めておかう。

 

 カメラの大きさに拘泥したのは、鞄の大きさに結びつく條件だからで、荷物は油断するとすぐに嵩張る。他にも

 着替に靴下。

 タオル。

 煙草。

 スマートフォンやデジタル・カメラの充電器。

 買出し用の袋。

 晝夜兼用のお猪口と夜用の割箸。

 天候によつては折畳み傘。

 傘を除けばどれもこれも大きいわけではないのに、入れてゆくと何故だか鞄が肥る。それは丸太が不器用だからだと云はれたら、まつたくその通りと応じざるを得ない。整理整頓が一種の才能なら、わたしにその持合せはない。

 さて上に挙げたのを分割しつつ纏めるとして、何を使はうか。区切りの附け易さだとドムキ・カメラ・バッグがいいのだが、出來れば使ひたくない。これを持ち出して歩くと、膝が痛くなる。何故だかは解らない。まあドムキが惡いといふより、こちらの歩き方がいかんのだらうと思ふ。思ひはしても、いきなり歩法を修整するわけにはゆかず、デイパックでもトート・バッグでも兎に角、膝や腰が痛くならないことを優先せねばならない。面倒ではあるが、これもまた泊りの樂みのひとつと解釈する方が、あらほましい態度であらう。