閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

795 土曜日の焼き饂飩

 先日コンビニエンス・ストアでふと目に入つた焼き饂飩を食べてみた。四百円くらゐだつたか。まづくはないが、感心もしなかつた。まづくないのは当り前で、さうでないとコンビニエンス・ストアの棚には並ばない。

 食べながら不思議に思つた。

 第一に焼き饂飩は焼そばに較べ、随分と地味なのは何故だらうといふこと。

 第二に焼そばの味つけはウスター・ソースが基本なのに、焼き饂飩では醤油が主なのは何故だらうといふこと。

 文字にして気がつくのは、この二つは焼き饂飩が焼そばの強い影響下にあるから浮ぶ疑問といふことで、面倒だから焼き饂飩史を調べるのは略すが、間違つてはゐまい。

 さうすると第一の疑問には、焼き饂飩は焼そばの地位が確立しきつた後に成り立つたからだらう、第二の疑問には、その焼そばとの差異を作る為の手段だつたのではないか、と推測出來て、こちらも大外れではなからう。

 そんならね、焼き饂飩は無くたつて困りはしないのか、と聯想が働いて、果してそれは本当か知ら。コンビニ式焼き饂飩にさほど感心しなかつたのは事實だが、綺麗さつぱり姿を消されると、それはそれで困惑すると思ふ。

 思ふに焼き饂飩の失敗は、焼そばと同じ豚肉を使ひ、焼そばと同じキヤベツや紅生姜を使つたからではないか。お手本は寧ろ肉饂飩…牛肉を甘辛く炊いたのが種…にするべきであつた。後は玉葱。醤油と味醂と生姜で味をつけ、葱を散らしたら、断然うまくなる気がするんだが、さういふ焼き饂飩が見当らないのは既に試して、駄目だつたのだらうか。併し商ひにはならなくても、土曜日にお父さんが作るお晝ごはんくらゐの地位は得られさうではないかとも思はれてならない。