閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

810 逸れに逸れる

 鶏肉の甘辛味噌炒め定食といふ品書きを目にして、旨さうだと思ひ、且つ麦酒を呑みたいと思はないのは、ひととして如何な態度だらう。勿論おれは如何なものかと思はれる態度は取らない。詰りお店に入り、席に着いて

 「鶏肉の定食をお願ひします。それから、麦酒を一ぱい」

と註文したんである。どうです、筋の通つたものでせう。

 麦酒はアサヒ。晝間に呑む銘柄としては申し分ない。我われはもちつと、時間帯によつて呑む麦酒を撰ぶ習慣を身につける方がいいと思ふ。陽射しが窓を抜ける時と、とつぷり暮れ落ちた時では、うまいと感じられる麦酒は明かにちがつてくる。晝間つから麦酒を呑むなんてと眉を顰めるひとはゐるだらうが、それはそのひとの倫理観の知つたことである。

 以前…もう廿年ほど前だから昔と云ふのが正しいか、昔はそんなことはしなかつた。そんなこととは晝間から麦酒を呑むことを指す。呑むのは午后五時を過ぎてからと決めてゐた時期があつた。莫迦げた姿勢と云へなくもないが、さういふ縛りを設けることで、最初の一ぱいが實にうまく感じられもした。御用とお急ぎでない讀者諸嬢諸氏は、試してもらひたい。結果は保證の限りではないけれど。

 ところで味噌と云へば酒菜…肴の印象がどこかにある。何の時代小説だつたか、味噌を嘗めながら冷やをやつつける場面があつた。尤もああいふ味噌は、まだ大豆の形が残つてゐる食べものであつた。現代の我われは金山寺味噌聯想すればよい。醗酵食とお酒の相性は宜しいもので、たとへばチーズは葡萄酒だけでなく、お酒にもよく似合ふ。味噌と葡萄酒だつて適ふだらう。ぢやあ味噌と麦酒はどうなのかと云ふ疑念が浮ぶのは当然だが、お酒と葡萄酒と麦酒が同じ醸造酒の範疇に含まれると思へば、心配は要るまい。

 云つておくと、外ツ國の麦酒事情は知らない。ドイツに何度も出張した友人の話だと、かれらは

 「晝間ツから、阿房みたいに呑みよンね」

のだといふ。友人は技術者で麦酒好きだから、商ひの都合といふより、技術者のおつきあひで呑む。

 「ほいで、どないなンのよ」

訊くと(念のために云ふと、日本のビア・レストランで麦酒を呑みながらの會話である)

 「次の日イの移動で、エラい目エに、あふンやな」

 「なーるほど」

納得したふりはしたが、麦酒だけで翌日に"エラい目に"あへる量は想像出來ない。友人とおれが麦酒を呑む時は、三杯づつくらゐで収まる。勿論その後、ヰスキィやら黑糖焼酎やら何やらを呑みはしても、翌日に出掛けられないほど、残りはしない。ドイツ人は麦酒だけでそれ以上に呑むのだと推察されて、よくもまあそんな聯中と同盟を組めたものだ。ドイツを尊敬するのは、医學とライカだけでいい。

 それでライカに話を移したい、と思つたが、ライカで呑むのは考へにくい。醉つた挙げ句の失敗が怖いからで、いや待て、ライツ・ミノルタCLを肴にしたことはあつたな。鉤十字のアーリアン主義のやうなひとからは

 「あんなのはライカぢやあない」

と云はれるだらうか。失礼、些か問題を含む(かも知れない)言であつた。とは云へライカに純粋性があるとすれば、CL以前の機種であつて…止めておかう。おれは平和的な男なのだ。火の粉は出すまい。と腹を括つたら

 「お待たせしました」

と鶏肉の甘辛味噌炒め定食が運ばれてきた。おれはアサヒを呑みながら、甘辛味噌炒めを待つてゐたのだつた。先づ鶏肉を摘む。胸肉だらう。下拵へか料り方か、ぱさついた感じはしない。玉葱が大きく切られてゐるのと、大蒜の芽をあしらつてゐるのが嬉しい。味つけはやや濃いか。定食だからごはんに適ふのは勿論として、麦酒に適ふのも嬉しい。このお店は穏やかな味が得意(な筈)だから、もしかして麦酒を註文したおれにあはしてくれたのだらうか。

 「そんな都合のいい話があるわけ、ないだらうに」

我が親愛なる讀者諸嬢諸氏よ、さう笑ひ賜ふな。おれだつてそんな筈はないと思つてゐる、判つてはゐても、さう考へる方が気分がいいのは事實だし、気分がよくなる考へなんだから、わざわざ改めるまでもない。アサヒで平らげた後、お皿に残つた甘辛味噌に、こちらも残しておいたごはんを入れ、出來るだけお皿も綺麗にした。お行儀は宜しくないが、洋食でうまいソースをパンで拭ふのと同じである。御馳走さまを云つてお店を出てから、アサヒで鶏肉の甘辛味噌炒めを食べただけなのに、色々と逸れに逸れたものだと思つた。