閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

821 新酒どんたく

 神無月の第三土曜日は我われニューナンブにとつて重要な意味を持つ。ニューナンブに就ては省略してその日の意味に触れると、奥多摩の小澤酒造が藏を開くからで、ここで云ふのは新酒の御披露目と考へていい。新酒の御披露目と云へば霜月第三木曜日のボージョレ解禁が聯想されるが、あつちの新酒はおほむね大したことがない。括りで見れば同じ醸造酒なのに不思議な気がする。それで思ひ出すのは、江戸の頃の酒醸りは四季造りといつて、年中醸してゐた。年に数度、新しい酒が藏から出されたわけで、中でも冬に醸つた寒造りがうまいことになつて、それが現代に繋つてゐる。といふ話は小澤酒造の酒藏見學で教はつた。だからニューナンブはさて措き、おれは小澤酒造に恩義を感じてゐる。

 ここからは小澤酒造を銘柄である澤乃井か、澤乃井の象徴である澤蟹と呼ぶ。初めて訪ねたのがいつだつたかは記憶にない。だから切つ掛けも忘れた。呑んだのは秋あがりで、いきなりうまいと思つたのは確かである。いきなり旨いとおれに感じさせたのは澤乃井の力なのは念を押すまでもなく、それでファンになつた。町中で偶々見掛けたプロ野球の撰手に気持ちよくサインをしてもらつたら、その撰手を何となく贔屓してしまふでせう。あれと似てゐる気がする。こちらはサインでなく試飲だつたけれど、それは兎も角、一ばん古い記憶に立てば秋あがりを契機にニューナンブは澤乃井を知り、藏開きがあることを知つた。

 藏開きには毎年足を運んでゐる。あすこで呑む搾りたてのお酒が實にうまいからで、と書けば嘘である。うまいのは勿論として、藏開きは澤乃井だけでなく我われのお祭りでもある。何だか知らない内に、隣のひとと乾盃を重ねるのは珍しくないし、お摘みを奢りあつたりもする。お祭りの熱にあてられてゐるからで、さうすると醉つ払ふ度合ひが普段通りにならないのは当然であり、結果として記憶を飛ばすのは、情けないなあとは思ふが、理窟はあつてゐる。理窟があふからといつて、歓迎は致しかねるのだが歴史は繰り返すだと云はれたら反論はしにくい。尤も本当に無いのかと質されたら、歴史は螺旋だから繰り返しではないとも思へてきて、併し結果が同じなら繰り返しではないとも云へる。面倒になつてきたなら、残りは哲學に任す。

 哲學はところで、考へること自体が目的の學問だから、余程に暇で、暇を考へる行為に費やして、それでも喰へる人間にしか出來ないと見立てられる。贅沢者の無駄な娯樂と呼べば哲學者から咜られるのは確かとして、奴隷の制度が確立した社會でなければ、その贅沢者の無駄な娯樂は成り立たなかつたらう。穏健で平和的で平等を支持するおれだが、さうではない社會制度でなければ生れない學問もあつた、あるのではなからうか。チャーチルだつたかは、民主主義は最惡の政治体制である、但し過去のすべての政治体制を除けばと云つたが、どうも怪しさうな気がされてならない。かれは皮肉屋でシビアで、併し純朴な民主主義の信奉者だつたと云へぱ、それまでなのだらうとして、葉巻や哲學の話ではなかつた。ちやんと解つてゐるひとがゐて、教はりながら嗜む葉巻は實にうまいものなのだが、それは別の機會の話題にする。

 中國武漢發と覚しきビールスの大流行はまつたく迷惑な限りで、我らが澤乃井も藏開けのお祭りを二年計りお休みにしてゐた。文句は無い、といふより寧ろ妥当な判断であるといつていい。併し妥当なのとこちらの気分は別の問題でもあつて、簡単に云へば慾求不満が溜つてゐたことになる。慾求不満が惡ければお祭り不足と云つてもいい。そこに令和四年の神無月、澤乃井が藏を開けるとなつたのだから、ニューナンブが昂奮しない方がをかしい。

 「行かずばなるまいですな」

ひととして当然の判断である。クロスロードG君とS鰰氏は残念ながら都合がつかなかつたけれど、たれにだつて事情はある。頴娃君と共に澤乃井を目指すことになつた。一泊するのは既定の路線だから、デイパックにパンツを忘れず入れ、哲學ははふり出して中央線に乗つた。

 

 今回の藏開けは例年より規模が小さい。ことに藏を會場にした試飲がないのは何とも云へない気分になるのだが、ぢやあ催さないよとなるのはもつとこまる。代りに利き酒処に社長の秘藏酒と銘打つたのを二種類も用意してあつた。試さない手はない。敢てこれは何ですと確めずに頼んだら、ひとつはひやおろしの四年熟成だつた。古酒とまではいかないにせよ、お酒を寝かすのは珍しい。澤乃井には藏守といふ十年以上寝かした銘もあつてそつちはお酒といふより、別の液体になつてゐる。あすこまでゆくと、感心は出來ても好んで呑みたいとは思ひにくい。利き猪口に満たされた四年熟成は琥珀いろがまことに綺麗で、含むとお酒がお酒である淵にからうじて踏みとどまつた味はひがした。詰りうまい。お代りはもうひとつの秘藏。寒仕込み純米吟醸とあつた。まづいはずがない。社長の趣味は佳い。

 頴娃君と合流した。六月に矢張り澤乃井で会つて以來なので、随分と久しぶりである。相変らず巨きなデイパックを背負つてゐる。合流前に豆らくといふ食事処の順番待ちに名前を書いたさうで、用意周到と云つていい。尤も

 「先客が八組も待つてゐるよ」

 「すりやあ仕方ありますまい」

利き酒処に戻つて、ひやおろしをもう一ぱい呑んだ。秘藏酒を順に味はつた頴娃君は、どうやら寒仕込みが好みに適つたらしい。我われは大人だから旨いの先にあるのは、口に適ふかどうかのちがひと理解してゐる。さうかおれは、ひやおろしのが好みなんだよねえ、で話は収まつた。ゆつくり味はつてから、豆らくに向つたところで、澤乃井の會長にぱつたり出会つた。個人的な知合ひでないのは云ふまでもない。併しこつちは知つてゐるから

 「無事の開催、お芽出度う御坐います」

と挨拶をした。

 「どうなるかと思つてゐたけれど、これくらゐの規模なら許してもらへるでせう」

會長はさう云つて笑みを浮べた。何年か前に胃の切除をした後、一時はひどく痩せてゐたのが、頬もふつくらしてゐた。

 「快癒したのだらう。よかつたなあ」

と云ひあつて豆らくに入つた。席について、さて何を註文しませうか。と考へるのが呑みものなのは、念を押す方がいいだらうか。暫しの沈思黙考を経て、まづはキリン・ビールにした。それからおぼろ豆腐御膳。頴娃君は三種類の利き酒のセットと煎り豆腐の御膳。

 「貴君麦酒かね」

頴娃君は少し呆れたやうな顔をしたが、こつちは麦酒で口を変へたかつたんである。尊敬する吉田健一はお酒なら最初から最後まで同じ銘柄で呑み續けられると書いてゐるが、必ずしもさうとは限らない。あのひとも夜行列車に乗る時は、麦酒やシェリーを嗜んでゐた。成る程特別急行列車で呑むシェリーは旨さうである。別に機會を作らねばならない。先づは目の前のおぼろ豆腐膳に集中するのを優先する。

 キリンを呑み干して、しぼりたてを追加。麦酒で口が変つた分、實にうまい。頴娃君は頴娃君で、呑みくらべを愉んでゐる。何かを話した筈だが、ほぼ記憶してゐない。要は身の無い話だつたからで、空疎な無駄話に人生の何時間かを費やすのは贅沢であり、文化的な態度ではなからうか。ここで文化について一席をぶつのは流石に厭みが過ぎる。そこで話を一ぺんに飛ばして、いやその前にメモを残しておかう。

 キヤノンAE-1 プログラムにおそらくNewFDのズーム・レンズで家族だらう聯れを撮る外國の人。

 その母親と思はれる、不器用な日本語で、おれが手にしてゐたお猪口に興味を示したご婦人。

 喫煙所で会つた、初めて訪れたといふ中年の男性は、呑みすぎなかつただらうか。

 母親に聯れられた、三歳か四歳くらゐの金髪碧眼の女の子は、何かしら愉快だつたのだらう、ずうつと機嫌よささうに笑みを浮べ續けてゐた。

 

 さて。

 我われは奥多摩沢井驛から青梅線昭島驛まで移動した。何故かと云ふに、ニューナンブが澤乃井に行くのと泊りは同じ意味だからで、これは既に触れてゐた。あの傍迷惑なビールスの影響があるから、晩めしと翌日の朝めしは各々勝手の手配である。さういふのが無かつたら、お刺身の盛合せだの、ちよいと奢つた早鮓だのをつまめるのだと思つたら、何とも腹立たしい気分になる。とは云へ冷静を気取ると、おれはお刺身や早鮓に大きな魅力を感じてゐるわけではない。

 「生魚を悦んで食べるのは日本人くらゐだ」

と外ツ國のひとは云ふけれどそんなのは嘘でなければ誤解なので、江戸期の後半でなければ末期に成立した早鮓を見ればその種が、江戸灣で獲れた魚介でなければ醤油に漬け込んだ鮪が精々なのは直ぐに解る。何百年か遡れば越前と京を結んだ鯖街道があつたくらゐだから、魚介を新鮮なままで口に出來るに到つた、詰り生魚を嬉々として食べる習慣が出來たのは冷藏の技術が確立してからと云つていい。えーと。我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には、兎にも角にもニューナンブの半数が昭島で勝手に夜の酒席のをしたのだと思つてもらひたい。

 罐麦酒を開けてからの樂みは予め買つてあつた一番汲みである。澤乃井ではしぼりたての更に前、濾過してゐないのを一番汲みと呼んでゐてこれは市場に出ない。濾過をせず、火入れもしてゐないお酒だもの、殆ど即座に味が変る。鯖や秋刀魚の生を漁港以外で食べられるものかと云つたら、我が賢明な讀者諸嬢諸氏には理解してもらへると思ふ。

 「だから一番汲みは開けて直ぐ呑むのがうまい」

と思つてゐたが、今年の新酒はさうでもなく感じたから少々驚いた。例年の一番汲みと云へば粗つぽさと獨特のあまみと醗酵が混つて、その未完成なやんちや具合がいかにも汲みたての味はひなのに、何と云へばよいのか、当り前によく纏つてゐる。だからまづいわけではない。まづくはないが優等生の顔つきだから樂み面白みには欠ける。杜氏さんの考へなのか、当代社長の方針なのか、その辺りははつきりしないにせよ、兎にも角にも生眞面目だなあと思つた。部屋に招いた頴娃君と莫迦話を繰り広げ、早鮓とちよつとしたお惣菜を肴にして、三分ノ二ほど呑んだ。それくらゐで収めたのは、要するに眠くなつたからで、半日余り呑み續けた後の眠気は、冷凍庫から取り出したウォトカのやうにとろりとしてゐた。

 翌朝は宿醉ひ、ではなかつた。醉ひが残つてゐたのは確かとして、前日來から醉つたままの感じだから、醉ひが續いてゐるみたいだつたと云へばいいか。得をした気分である。残しておいたお惣菜と罐麦酒で始めた。それからちらし寿司。海鮮ちらしとかそんな名前だつたと思ふ。朝は時間が限られるから、頴娃君とは動画の通話で乾盃をした。それでその海鮮ちらしを肴に、三分ノ一ほど残つた一番汲みを呑むと、香りが膨らんで、味はひがややこしくなつてゐる。詰りえらく旨かつたからびつくりした。びつくりしながら呑み、ちらりと頴娃君を招かうかと考へたけれど、頒けられるだけの量ではなくなつたから申し訳ないが諦めた。それで何故うまくなつたのだらうと思ふに、冷藏庫に入れなかつたのが正解だつた。前夜は冷藏庫に入れた壜を酒席の際に出して直ぐに呑んだのがいけなかつたにちがひない。白葡萄酒もさうだが、冷た過ぎると味が萎むことがある。きつと一晩室温で置いてちょうどいい温度になつたのだ。もうひとつ云へば一晩置いたことで醗酵もいい塩梅に進んだと考へられる。さう気がついて仕舞つたと呟いたけれどもう遅い。それに悔やむより翌朝に気づけるくらゐの分量があつたのを喜ぶ方がいい。

 チェック・アウトをして新宿まで出た。頴娃君が北村写真機店でライツのフードを買ふといふから、冷かしがてらにつきあつたんである。おれはおれでGRⅢを買ひさうになつたのだが、幸ひなことに品切れであつた。帰宅してからパンツを洗つて、まだ手元には一番汲みと一緒に買つておいた蒼天の五寸壜がある。藏開きは了つてゐないのだ。