閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

836 たちの惡い記憶、更に

 ライカのM6が再生産だか復刻だか、するさうである。新宿のカメラ屋でポスターを見た。その値段が七十五万円とかそんなだつたから、一驚を喫した。大昔…四半世紀余り前、中古カメラ屋で働いた時期があつてM6は現行機だつたが、十八万円から十九万円で、廿万円以上の値つけを見た記憶がない。そこで扱つてゐたM6は並行輸入品だつたから、廉価に賣れたのかも知れない。その辺は曖昧になつてゐる。とは云へ当時のM6は、ライカで冩眞を撮りたいひとの現實的な撰択肢以上でなかつたのは間違ひない。

 そのM6は、Mバヨネット式ライカの中でも中々に種類が多い。初期のウェッツラー製は例外として、TTL調光対応。ファインダ倍率のちがひ。更に各種団体だの何だのが理窟を捏ねて造らせた記念モデル(尤もライカ自らが造つたのは"プラチナ"と"M6J"だけと思ふ)があつた。それだけ人気だつたのだと見ても間違ひではないが、實態はどちらかと云ふと、現代で云ふコラボレーション企画…M6とコラボしたら、高い値段で賣れるよきつと…に近かつた気がする。さういふ印象が残つてゐるから、再生産だか復刻だかで七十万円の値段に驚いたんである。

 併し視点を変へて、昭和五十九年(ほぼ四十年前である)に發賣した機種を改めて造れると思へば、凄みのやうなものを感じなくもない。ニコンがF3を發賣したのはその四年前になるが、あの會社に今、F3を再生産する技術が残されてゐるか、甚だ疑はしい。それでF3の方向に話を逸らすと、ニコンが造つた一眼レフの最高傑作はこの機種だとおれは思つてゐる。必要且つ十分な機能を本体に入れ、拡張や変更の余地があり、全体としてよく纏つてゐる。初代から始つたシステム・カメラ(我がわかい讀者諸嬢諸氏は知らない言葉だらうなあ)の完成形と云へばいいか。

 尤も上述したのは理窟の部分で、おれがF3を贔屓するのは、持つてゐたからといふ事情の方が大きい。二へん、買つた。新品とデッドストック品。どちらもHPと呼ばれるタイプではなく、スタンダードなやつ。ウェイストレベル・ファインダを追加で入手して、スクリーンは交換した。最初は35ミリのF1.4(モノクロームで撮ると、恐ろしく硬質な描冩をしたのは忘れ難い)で、二度目は55ミリのマイクロで使つたのは、我ながらいい趣味だつた。やむにやまれぬ事情で手放したのは今でも惜しいと思ふことがある。

 今はどうなのだらう、当時のニコンの最上位機種に共通してゐたのは、持運びにはひどく重いのに、構へると實にバランスがいいことで、少しライカに戻れば、M3に90ミリ・ズミクロンの組合せで同じ感じがされた。F3が例外にならないのは勿論であつて、肩首に下げると特訓の為の道具かと思へる重さが構へた途端、誂へたやうに安定した。後年に入手したF4でもF2でも同じだつたから、ボディ単獨ではなく、レンズを附けた時の重さの散らし方を考慮するのがニコンの伝統なのだと思へるし、現行機でも同じだと信じたい。

 

 F3は電気式のフヰルム・カメラを今から手に入れたいと思はないおれの、殆ど唯一といつていい例外である。調子のいい個体を撰べば、こちらの余命くらゐは保つと思はれる。一緒に35ミリのF1.4と55ミリのマイクロの二本を奢つたとしたつて、再生産乃至復刻版のM6の代金の二割もあれば、お釣りでフヰルムを何本も買へる。