閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

860 愛人と男の話

 稲荷寿司と巻きものを一緒にして出すのを助六と呼ぶ、と知つたのはいつだつたか。

 

 稲荷寿司と巻きものなのは、助六の愛人が揚巻だから、と知つたのはいつだつたか。

 

 どちらもすつかり忘れてしまつたが、洒落と捻りの利いた名附けだと思ふ。念の為に云ふと、どこのたれが名附け親なのかも私は知らない。複雑な諧謔心の持ち主だつたのは確實で、かういふ演劇的な…いい加減な記憶で云ふと、助六も揚巻も演劇上の人物だつた筈だ…名前の食べものは、西洋や印度や中華にあるのか知ら。

 好物である。

 安いビジネス・ホテルに泊る時、予め買つておいて、翌朝に罐麦酒と一緒にやつつけるのがいい。一体私はごはんを摘みに呑まうとは思はないのだが、これは数少い例外…あとは特別急行列車内で食べる鯵の押し寿司と鱒の寿司くらゐ…であつて、その視点で見るなら助六は、私の中で特殊な地位を得てゐると云つていい。

 

 併し無知を晒すと、未だ助六の"正しい(叉は望ましい)"組合せが判らない。稲荷寿司と巻きものの組合せに正しい、望ましいがあるものかねと思はれてはこまる。

 第一には稲荷寿司で、大まかに云ふと混ぜごはん仕立てにするか、酢飯だけで用意するかのちがひ。ざつくりと前者は関西風、後者が関東風と見ていいらしい。

 第二は勿論巻きものなのは云ふまでもない。細巻き太巻きか、叉は両方か。具は何にするかも含めて考へると、ややこしくなつてくる。

 もつと云ふなら、稲荷寿司と巻きものの組合せが助六なのだから、組合せて完成といふ点に目を瞑るわけにはゆかず、それで話は更にややこしさを増す。どこかに"元祖 助六"の暖簾でも出てゐないか知ら。三軒隣に"本家 助六"の看板が立つてゐるかも知れないけれども。

 元祖や本家をはふり出していいなら、混ぜごはん仕立ての稲荷寿司に細巻き(かつぱ巻きと干瓢巻きと新香巻き)を私は悦ぶ。少々くどいお稲荷さんと細巻きの淡泊が、好もしく思へるのだが、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には如何だらう。異論の余地はたつぷりある。

 

 さて。前段で私はこの助六を、ビジネス・ホテルに泊つた翌朝、罐麦酒と共に平らげると書いた。實は書きながら何か物足りないと思つてもゐて、先づ小さなお椀のお澄し(にうめんもいい)があれば、もつと嬉しからうなあといふこと。もうひとつは、折角なんだから、愛人と一緒に摘むのが本筋ぢやあないかといふこと。ただ愛人と共寝するとしたら、ビジネス・ホテルには泊りにくい。前夜の食事だつて気を遣はねばならず、その場では髪型や服やアクセサリを褒めなくてはならない。女性の綺麗を褒めるのは男の特権だと私は思ふのだが、褒め方がうつかりなら愛人から厭な顔をされるだらうと想像すると、面倒だなあと考へざるを得ない。かういふのも傲慢と云はれるのだらうか。

 

 尤も今、私に愛人はをらず、愛人と豪奢などこかに泊れる見込みも持合せない。ビジネス・ホテルの朝、助六を摘んで罐麦酒を呑むのが具合のいい辺りで、本人が見たら、揚巻と一緒に野暮なものだねえと苦笑を浮べるだらう。