閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

868 忘れていたカメラの話

 がらくた函の中にXR-7MⅡがあったから、少し驚いた。

 忘れていたんである。

 知らない讀者諸嬢諸氏が大半だと思うので簡単に云うと、平成五年にリコーから發賣された、絞り優先の自動露光が使える、Kバヨネット・マウントで、マニュアル・フォーカスの銀塩一眼レフ。リコー製の一眼レフに夢中だった時期があったから、その頃に買ったのだと思う。

 同年の他社製カメラをざっと見ると、キヤノンから初代のEOS Kissが、ニコンからはニコンミニことAF600が發賣されている。巷に目を向ければ、今上陛下(当時は皇太子殿下)の御成婚があり、『ジュラシック・パーク』がヒットを飛ばした一方、オードリー・ヘプバーンアンドレ・ザ・ジャイアント本多猪四郎リリアン・ギッシュ木村政彦井伏鱒二ハナ肇潮健児田中角栄が亡くなった年でもある。

 銀幕のヒロインや大巨人や特撮の巨匠は兎も角、EOSやニコンミニを思うと、銀塩カメラの自動焦点は(一応の)完成に到っていたと云ってよく、その時期に出たXR-7MⅡはまったくのところ、時代遅れだったと断じてかまわない。

 じゃあ買ったのは何故だと疑義が呈せられるのは当然であって、返答は六つかしいんだけれど、上にも書いた通り、リコーの一眼レフに夢中だった(頃があった)のがひとつ。もうひとつには、スタイルに好感を持ったと云おうか。リコーのカメラにスタイルなんて…と笑ってはいけない。プラスチックをプラスチックのまま、素直にカメラの形にしたら、きっと、XR-7MⅡのような姿になる筈で、こういう例はそうそう見掛けないんじゃあないか知ら。

 当時としても特筆出來る性能は持合せていなかった。敢えて云えば、かるくて廉価で、汎用性の高いKマウントを採用したことか。尤も本家筋のペンタックスにこういう機種の用意がなかったことを思うと、貴重だったと強弁出來なくもない。もうひとつ、プログラム制禦の自動露光を採っていない点は寧ろ有利と云える。前述したKマウントの汎用性を、十全かつ便利に活用する…各社各種のレンズで游ぶには、絞り優先式の自動露光がちょうどいい。

 ここで私の手元にある個体の話をすると、調子が宜しくない。グリップがやれているのは仕方がないとして、シャッターを切った後、ミラーが上がりきりになることがある。なので気らくに持ち出す…發症してもかまわないような時…なら兎も角、気合を入れ、腰を据えて撮ろうとする時は、同社のXR-8(機械制禦の一眼レフ)に頼らざるを得ない。ただ自動露光が使えない分、ズーム・レンズとの相性…使用頻度はさて措いて…は惡くなる。

 

 ここまで書いて、XR-7MⅡには色ちがいがあった筈だと思い出した。予備というか何というか、そんな位置附けでもう一台、買っておこうか(中古で精々数千円程度だろうし)と考えたが、忘れていたカメラだからなあ。