閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

871 呼び水の話

 慾求を刺戟するのと同時に、麦酒を聯想させる食べものの双璧といえば、焼き餃子と鶏の唐揚げである。ミンチカツは勿論、鯵フライや烏賊リングやコロッケ、或は焼き鳥のたれだって、麦酒の素晴しい友なのは、改めるまでもないが、慾求を刺戟する点で云えば、餃子と唐揚げには及ばない。

 麦酒に似合う食べものの條件を考えるに

 熱くて、

 脂っ気があって、

 (ある程度)しつっこい。

 この三点が基本ではないか。我が餃子と唐揚げがこれらを満たしているのは念を押すまでもなく…いやそんならミンチカツも種々のフライも串焼きも同じ筈だから、どこで線を引くのかという疑念が残る。残りはするが、それは経験に裏打ちされた判断があってのことで、一概にどうこうと云うのは六つかしい。なのでこの稿では踏み込まないままとする。

 戻りますよ。

 焼き餃子と鶏の唐揚げの樂みは、うまいのは当然として、熱くなり油で覆われた口の中を、麦酒で洗い流す瞬間の快感も挙げねばなるまい。この場合、比較するのではなく、それらがひとつの組になっていると理解する方が正しい。秋刀魚の塩焼き(大根おろしは忘れずに)を毟りながら呑むお酒のうまさ愉快さは分割出來ないでしょう。あれと同じである。

 併しここで我がすすどい讀者諸嬢諸氏は

 「餃子や唐揚げくらいだったら、マーケットでもコンビニエンス・ストアでも、直ぐ買えるでしょうに」

と考える筈で…まったくその通り。なので時々、買う。罐麦酒も買う。休日の午后、こういうのをやっつけると、いかにも駄目な小父さんな気分になれるのが宜しい。その気分を本格的に味わいたければ、平日の午后遅い蕎麦屋で、板わさなぞを肴に、一合か二合のお酒を呑んで、もりの一枚でも平らげればいいんだが、三千円は掛かるだろう。割高である。休日毎に樂むわけにはゆかない。

 とは云うものの、またコンビニやマーケットの唐揚げと餃子が、侮れない程度にうまいのも認めはしつつ、満足出來るかと訊かれたら、首を傾げざるを得ない。レンジで温めたのを食べるんだもの、当り前である。それでKの唐揚げだの、Pの焼き餃子だのがつい、聯想されてくる。揚げたての唐揚げに焼きたての餃子である。散々考えてから、KやPに行こうと決めることになる。要するに呑み屋への呼び水になっていて、辛抱のきかないこと、我ながら腹立たしい。それで餃子や唐揚げだけで済まないのは云うまでもなく、結局は蕎麦屋の三千円より高くつく。