閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

878 バイキングの話

 辞書的に云えば

 ・八世紀から十一世紀頃にかけ

 ・漁撈と商業と海賊行為と傭兵商賣を主な営業品目にした

 ・スカンディナヴィアの海洋集団

 をバイキングと呼ぶ。そのバイキングの故地(のひとつ)であるスウェーデンの食事形式にスメルガスボードがある。元の音に近いのはスモーガスボードらしいが、ここでは尊敬する檀一雄に倣ってスメルガスボードと書く。

 スメルガスはバタ附き麺麭、ボードは食卓の意味。酢漬けの鰊やサモンのマリネー、様々のピックルス、レヴァのペースト、ゼリー寄せにサラドにチーズにハムの類から、果物やデザートまでが一堂に會するそうで、豪華なのだろうな。残念ながら相伴に預かったことはないけれども。

 遡ると併しスメルガスボードは、"隣近所が持ち寄ったお食事會"に辿り着く。自慢の煮込みや揚げものがある一方、簡素なサンドウィッチや罐詰壜詰もあった筈で、想像すると微笑ましい。要するにそういう"賑かな食事の場"を、"バタ附き麺麭の食卓"と呼ぶ北欧人の感覚は好もしい。

 その北欧式の食事の形式が日本に入った。どこやらのホテルが、お客に好き勝手に料理を取ってもらおうと考えたらしいのだが、スメルガスボードとは呼ばなかった。日本人には判りにくいと思ったのだろう。そこまではいいとして、そのホテルの料理長だか支配人だかは、何故だかその形式に"バイキング料理"と名前をつけた。日本人なら北欧と聞けばバイキングを聯想するでしょう。なのであの形式を、本來のバイキング聯中が嗜んだわけではないと、我われは知っておく必要がある。

 

 名附け方は横に措いて、バイキング形式は愉快でいい。ホテルの朝食があのスタイルだと、ちょいと昂奮しませんか。おれはきっと昂奮する。

 ごはんとお味噌汁、鯖や鮭の塩焼き(いつだってひどく小さいのはどうしてか知ら)、筑前煮、玉子焼き、鹿尾菜に佃煮、柴漬けに焼き海苔に梅干しがある。

 食パンとソップ、バタ、ベーコン、ソーセイジ、スクランブルド・エグズに目玉焼きがある。

 生野菜とポテト・サラドと各種のドレッシングがある。

 緑茶と珈琲とオレンジ・ジュースがある。

 スメルガスボードほど豪勢ではないにせよ、あれやこれやを勝手気儘に撰んでいい一点で、食慾のどこかが刺戟されるのは確かと云っていい。

 尤もこまることもある。おれは朝食を摂る習慣が無い(珈琲とトースト程度だから、食べないのと変らない)のに、昂奮に乗せられて普段なら絶対に食べない量をあれこれ取ってしまう。席に着いてお皿を見ると、たいへん乱雑な上、どうかすると目玉焼きと玉子焼きが隣り合っていて、我ながら意地汚いものだとうんざりする。そんな時に限って別の席のお皿が綺麗に整っているのが見えたりして、他のひとからどんな風に見られているかが気になってくる。昂奮と刺戟された筈の食慾が萎んで、おれはどうしてこう、考えなしなんだろうと反省までしたくなる。世の中.、反省しながらしたためる朝食ほど不味いものはないよ。

 もうひとつ、あのちまちましたおかずが、お摘みに適当なのもこまる。(ホテルで)バイキング形式で提供されるのは、所謂ソフト・ドリンクである。居酒屋ではないのだから、止む事を得ない。それに朝から醉客が騒いだら迷惑だしね。こっちだっていい大人だもの、それくらいは判るし、苛々もしない。但し物足りないなあとは思う。罐麦酒や五寸壜でも持ち込めればいいのだが、残念ながらそうもゆくまい。かといって盛りつけたお皿を部屋に持っていけば、"バイキング形式"から離れてしまう。本家バイキングの末裔諸君は、スメルガスボードを前に、そういう悩みを感じるのだろうか。