閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

887 鶴見どんたく

 生麦の見學が終つたのが正午頃。工場内で暫くぐづぐづしたので、京急鶴見驛で降りたのは午后一時過ぎになつた。

 「どうします」

 「先づは、お晝をば」

 「異議なし」

とは云つても、雨を衝いて足を延ばす気力は残つてゐない。驛ビル内のお店で済ませることにして、お寿司屋と和食を提供してゐる処に入つた。

 品書きを見るに、麦酒はアサヒだつた。今の私は麒麟に魂を賣つてゐるから、麦酒は控へた。註文は"上喜元"を一合と和定食。頴娃君は散々迷つて"獺祭"と天麩羅。空腹ではないのか知らと思つたら、後で早鮓を追加した。

 "上喜元"と和定食(天麩羅とお刺身、茶碗蒸し、お漬物)はあはせて二千円ほど。共に値段相応。遅い時間帯なのがよかつたか、周りを気にせずゆつくり出來た。それにかういふ定食はおかずが肴を兼ねるのも便利だと思つた。

 そこから夜酒席用の買物。早鮓、烏賊のフライ、菜の花と豚肉の炒めもの、春雨のサラド、翌朝の散らし寿司。麦酒が麒麟限定なのは念を押すまでもない。"一番搾り"と"SPRING VALLEY"の赤白。お酒の二合壜と白葡萄酒のハーフ・ボトルも一緒に買つた。麒麟系列のメルシャンが無かつたのは残念だつたが、多少の妥協は止む事を得まい。

 

 この日の宿は鶴見の東横イン。午后五時頃のチェック・インになつた。受附がえらく混雑してゐて驚いた。おとなしく並んでゐる内、ソ聯の買物行列みたいだと考へ、いやソ聯の買物行列は知らなかつたなと考へを改めた。順番が來たので手續きを済ました。旅行支援のお蔭で、宿賃は廉である。

 「六時くらゐまでには、始めませうや」

さう云ひあつて、あてがはれた部屋に入り、靴を脱いだ。湿つた靴下をごみ箱に脱ぎ捨てた。最初から捨てる積りで履いた靴下だから、惜しくない。辛抱してゐた煙草に火を点け、駆けつけビアの"SPRING VALLEY"を一本呑み干した。實に美味かつた。一息ついてシャワーを浴びた。こちらの準備は無事に整つたことになる。

 

 夜ノ部は予定より半時間ほど早く始つた。頴娃君はキャンプで使ふらしい組立式の簡易卓と折り畳みの小さな椅子を持ち込んできた。用意周到にも程がある。テレ・ヴィジョンを点けると、開幕した計りの高校野球中継が續いてゐたから、BGM代りにして

 「では」

 「乾盃」

"一番搾り"と"SPRING VALLEY"を互ひにぐうつと干した。ここで活躍したのが生麦見學の際に手に入れたコースター(見學者限定である。羨ましいでせう)で、麒麟の気分が續くのがまことに宜しい。尤もここからの記憶は曖昧である。ニューナンブの酒席は九分九厘、實のない話で埋められるから、気に病むことはない。高校野球が終つた後、日本とデンマークカーリングを観たのは確かだけれど。

 甲府行き…ニューナンブでは"甲州制服襲學旅行"の字をあてる…も出たと思ふ。具体的なところまでは踏み込まず、双方で計劃案を出しあつて、詰めてゆかうとか、そんな程度だつた。甲府とは唐突だなあと思ふ我が親愛なる讀者諸嬢諸氏には、別の日に説明する機會を作るので、ここではさうなのだなと収めてもらひたい。

 もうひとつ、頴娃君がササさんのことを度々セキさんと間違つたのを特筆大書しておかう。礼を失したてゐるなあと思つたが、もしかすると、かれの初戀がササさん似のセキさんだつたのかも知れない。訊いておけばよかつた。

 

 気がつけば麦酒が片附き、葡萄酒が片附き、お酒も片附いてゐた。午后五時半過ぎだつた筈の時計も、十一時近くになつてゐた。お休みを云つてからも大醉した感はなくて、どうも何かに騙されてゐるやうな心持ちになつた。