閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

915 令和最初の甲州路-雨天晴天(中)

 勝沼ぶどう郷驛で下車した頃には、雨は本降りとなつてゐた。ニューナンブが目指す[まるき葡萄酒]は、雨の中を歩ける距離ではない。うんざりした。タキシを使はざるを得ないかと思つた。驛舎内の観光案内所に入り込んだ頴娃君が

 「十分かそこらで、巡回バスが來るさうです」

教はつたらしい。かういふ行動力を私は持合せない。感心してバスを待つことにした。

 

 驛舎はくらい。建物は勝沼町内の高い場所に位置して、葡萄畑を見下ろす。

彼方には山々。畑と山を覆ふ空の昏さが、建物のくらさを際立たせてゐる。そのくらさは記憶の勝沼とはちがつてゐて、落ち着かない感じがした。バスが來たからのそのそ乗つた。平日の午后なのに、地元のひとだらう、二人か三人が既に乗つてゐた。

 思ひ返すと、勝沼町でバスに乗るのは初めてである。六年前に[まるき葡萄酒]を訪ねた折りは、驛か[ぶどうの丘]から徒歩で行つて、案内のひとに醉狂と呆れられた。その時の道をバスは進まない。町内を巡るのだから、当然である。雨粒が流れる窓をぼんやり眺めてゐたら、何とかの三番とか、葡萄畑の区劃のやうな名前の停留所にとまつた。

 「ここで降りるです」

さうですかと云つて降りた。足下はたいへん宜しくない。バスを見送りつつ歩くと、右手側に覚えのある看板が見えた。即ち我らの[まるき葡萄酒]である。中に入ると、奥からマスクを着けた妙齢の愛らしい女性が

 「いらつしやいませ」

と姿を見せた。マスクをしてゐて、妙齢だの愛らしいだの、判るのかと思ふのは誤りで、葡萄酒の藏にゐる女性が妙齢且つ愛らしいのは寧ろ当然ではないか。

 「午后二時からの"テイスティング・ツアー"を予約してゐる丸太といふ者です」

さう云つて、受附を済ました。お一人様千五百円。参加の特典で、冩眞を一枚撮つて、プリントを差し上げますと云ふ。小父さんふたりを撮つてどうするのかとも思つたが、折角だからお願ひした。この日の見學は我われの他にもう一組、褐色肌の禿頭男氏とその恋人らしいお嬢さんの計四人。集まつたのを見計つて受附の女性が

 「案内のムラカミと申します」

自己紹介をして、見學が始つた。最初は古ぼけた木の看板に就てで、当時の販賣店の店先に掲げてあつたさうだ。賞を百余り獲得したとか、皇太子殿下がどうとか、懸命に胸を張つた感じが微笑ましい。

 

 外に出て、葡萄の撰果機や圧搾機を見せてもらひつつ、白と赤の醸り方のちがひが説明された。ごく簡単に云ふと、圧搾を醗酵前に行ふのが白、醗酵後に行ふのが赤。五年前の葡萄酒藏で同じ説明を聞いたのを思ひ出した。詰り忘れてゐたといふことでもある。

 葡萄畑に移ると、畑の前に、皮の一部が剥がれた樹があつた。ムラカミさんが

 「どうぞ触つてみてください」

といふから触つたら、知つてゐる手触りで、何だつたか。記憶を辿らうとすると

 「これはキルクの樹です」

ああ成る程、覚えがあるのも不思議ぢやあない。ムラカミさん曰く、キルクは日本の土壌に不向きな樹ださうで

 「多分、この大きさの樹を持つてゐるのは、弊社だけだと思ひます」

愛社精神の好ましい發露といつていい。奥手に進んだ。

 葡萄畑の更に奥に羊が二匹ゐる。[まるき葡萄酒]のイコンである。かれ乃至彼女には、葡萄畑の雜草を食む重要な役割がある。六年前と同じ羊なのかは訊き忘れた。雨に濡れた毛を垂らした羊は、我われ一行を訪問者ではなく

 (怪しい闖入者)

のやうに感じてゐただらう。六年前の視線と同じだつた。畑の別区劃には、観光牧場から來た別の羊が矢張り二匹ゐて、ムラカミさんが云ふには

 「あの仔たちは割りと、ひと懐つこいんです」

更に片方は"前髪がもこもこしてゐるから、もこと云ふ"さうだが、第一に空がくらく、第二に遠目であつた上、そもそもどの辺りが羊の"前髪"か知らない所為で、もこもこのもこがどちらなのか、判らなかつた。小聲で云ふと、ムラカミさんも区別出來てゐない様子に思はれた。

 踵を返し建物に入つた。先づはタンクの貯藏。ステンレスと琺瑯がある。ここで温度の調節を間違ふと、えらいことになる。ステンレス製のタンクは冷水を巡らせる構造だが、琺瑯タンクはさうではなく、冷水が流れるホースを巻きつけ、タンクの上から掛け流す方法を採つてゐる。ははあと感心してゐたら、奥で作業をしてゐた若ものが、いらつしやいと聲を掛けてくれた。かういふ礼儀正しさは気分が宜しい。

 タンク貯藏の後は樽貯藏になる。[まるき葡萄酒]だと、アメリカ産のフレンチ・オーク製。寝かした樽の上面、眞ん中ら辺に栓が嵌め込んである。色みや味はひを試す時に、中身を吸ひ出す穴の栓で、一部の樽はその周りに薄い紅いろが染みてゐる。ムラカミさんが教へてくれた。

 「葡萄酒は酸化をきらひます。だから樽の中はぎりぎり一杯まで満たす必要があります。それで栓をすると、どうしても少し、溢れてしまつて、染みになるんです」

白だと目立ちませんけれど。案外と原始的だなあと思つたのは勿論、好意的な感想である。

 そのフレンチ・オーク一樽の容量は、フルボトルに換算して三百余本分になるといふ。

 「詰り一樽で大体、一年分を賄へるのだな」

さう呟いたら、頴娃君が眞顔で

 「貴君、毎日フルボトルを平らげるのか」

酒量に就て疑義を、よりにもよつて頴娃君から呈されるのは心外だつたが、反論は葡萄畑の代りに飲み下した。私は紳士的な男なのである。

 樽の貯藏を経た葡萄酒は、壜に詰められ、更に熟成の時間を経る。[まるき葡萄酒]で使ふのは一升壜。量に対して空気が触れる可能性を抑へられるからだといふ。棚にぎつしり並んでゐて、一ばん古いヴィンテージは、昭和卅年代に遡る。藏の歴史に較べて、随分とわかいとも思ふが、太平洋戰争で敗けた後、在庫を吐き出したからですと聞いて納得した。当時はたいへんな貴重品だつたらう。但しムラカミさんも他の社員さんも、棚の全部は把握してゐないさうだから、棚を掻き回せば思はぬ掘出し物があるやも知れない。また別して篭に入れられた商品ではない壜も何本かあつた。

 「(理由があつて)賣れるものぢやあ、ありませんから」

ムラカミさんがさう云ふと、褐色禿頭氏が嬉しさうに

 「だつたら、持つて帰つて、いいでせうか」

礼儀正しい図々しさといふ態度があるものだと、可笑しくなつた。尤も"賣れるものではない"のは、まづいの暗喩でもある。仮に譲られても、特典で氏の食卓を彩れるかどうか。

 

 四人組の見學は壜貯藏庫で終り、ニューナンブは元の建物の二階で、樂みの試飲と相成る。今回は赤白あはせて四つの銘柄が用意された。簡単に感想を添へて記す。

 

・レゾン甲州 2020(白)

 癖のない安定した味。

 あはせる食事によつては、多少の物足りなさを感じるかも知れないけれど。

・ラフィーユトレゾワ リザーブ甲州(白)

 卅、四十年もののブレンドで、貴腐ではないけれど、極めてあまく、ひとを撰ぶだらうなあ。

・ラフィーユトレゾワ 南野呂ベーリーA 2019(赤)

 非常に穏やか好もしい。

 獸肉、魚介、チーズ、何にでも適ふにちがひない。

・レゾンルージュ 2022(赤)

 ベーリーAとメルローブレンドだが、前者のおつとりと後者のやんちやが、未だ噛み合つてゐない。

 壜熟成を重ねた何年後か呑んだら、きつと美味からう。

 

 ムラカミさんの説明を受けながら呑んだから、葡萄酒に詳しい気分にもなれて、かういふのが藏を訪ねる喜ばしさといふものだ。

 併しひとつだけ、残念な話があつて、ぎゅっとワイン(硝子コップ入りの呑みきり葡萄酒)が、終賣になつたといふ。ムラカミさんは[まるき葡萄酒]を代表して、すみませんと云つてくれたけれど、彼女の責でないのは当然である。それに私は良識を心得た紳士でもあるから、苦情を申し立てる眞似はしなかつた。とは云へ、ぎゅっとワインは甲府驛發の"居酒屋 あずさ號"に欠かせなかつたのも事實である。これからどうすればいいのか知ら。

 階下に降りた。外の雨はひどくなつてゐる。頴娃君がタキシを註文してゐる間を縫つて、いろベーリーA 2019(赤)の半壜を贖つた。