閑文字手帖

馬手に盃 弓手に肴

919 令和最初の甲州路-雨天晴天(終)

 早鮓とお惣菜を二品("ふたつで五百円"の特賣)、クリームチーズ、ダルグナーのヴァイツェンピルスナー、翌朝用の助六と春雨のサラドを買つた。お摘みは前夜の残りもあるから、これくらゐで十分である。序でに使ひ捨てのプラスチック・カップ(十五個入りで透明のやつ)も買つて、東横インに戻つて、冷藏庫に入れてあつたVEILを取り出した。経験的に葡萄酒もお酒も、冷藏庫から出して直ぐに呑むと、香りが萎んだままで、味も広がりに欠けることが多い。さういふ判断が働いたから

 (薄つすら、醉ひはあつても、冷静を失つてゐない)

と考へて気分がよくなつた。ニューナンブには伝統的に、晝に呑み過ぎる惡癖があるのだが、その傾向は徐々に収まりつつあるらしい。大人になつたと云ふべきか、単に呑める量が減つたと見るべきか、考慮の余地はある筈で…余地は余地として、シャワーを浴びた。

 

 さて、では夜の部を始めるとしませう。

 麦酒と塩尻メルロとお摘み(目には青葉の鰹を贖つてゐたと思ふ)、簡易な卓と椅子を持つて、頴娃君がやつてきた。何故かといふに、煙草を吹かしたいこちらの都合である。非喫煙者の頴娃君には相済まぬとは思ふ。併し煙草は嗜好品で、今のところ止める積りにはならない。せめて灰皿は窓際に置くくらゐはしておく。

 先づは麦酒。私はヴァイツェン、頴娃君はヱビス。ここで買つておいたプラスチックのカップが役に立つた。麦酒は注いだ泡の具合が見えると旨さうに映る。一ぱい目はごつんと干した。いやあまつたく、昨日と云ひけふと云ひ

 「葡萄酒を堪能したものだねえ」

 「異論の入る余地はありませんなあ」

とか何とか、そんな話をしたと思ふ。曖昧な云ひ方をするのは、曖昧な記憶しか残つてゐないからで、詰り"ニューナンブのスーパーどんたく"に相応しい酒席だつた證である。ヴァイツェンが空になつた。VEILに取り掛からう…と思つたのはいいが、ねぢ式の蓋がえらく硬い。少々焦りを感じたところ、既に自分の壜を開けた頴娃君が

 「寄越したまへよ」

あつさり蓋を開けてしまつた。きつと私が力を込めてゐたのが、効果的だつたのだ。

 プラスチックは安つぽいが、麦酒の泡と同じく、葡萄酒の色も眺められるのがいい。VEILは好みの範疇で云ふと、まだ少し冷たすぎる。かういふ時、"居酒屋 東横イン"だと、時間を気にせず済む。有難い。新しいカップで、VEIL塩尻メルロを頒けあつた。まことに結構。

 ニューナンブの"居酒屋 ビジネスホテル"では、BGV代りにテレ・ビジョンを点ける。スポーツが望ましい。知つてゐたら樂めるし、知らない競技でも、その為に鍛へた体躯が躍動するのは美しい。一度、トライアスロンの中継を観たことがある。走るのと自転車と水泳の競ひあひといふ分り易さと、それらの競技が一体になることで生れる複雑感が實に面白かつた。この夜はさういふ中継がなかつたから、Jリーグの試合を流したまんまにした。サッカーを片目で眺めつつ續けた莫迦話も尽きた頃、おやすみを云つてお開きとした。VEILは半分ほど残して(これには考へがあつてのことだ)ベッドに潜り込んだ。

 

 翌朝…即ち廿一日の甲府は晴れ。十九日の雨が一日ずれてゐればよかつたのにと思ひながら、朝めしの支度をする。支度といつたつて、冷藏庫に入れた助六とお惣菜を取り出し、並べなほすくらゐだけれど。

 VEILは冷しなほしてゐない。火入れをしないお酒だと、ひと晩おいたら味はひが(大きく)変化することがある。葡萄酒にもさういふ変化があるのか、気になつたのである。ダルグナーのピルスナーをやつつけ、VEILに取りかかつた。

 お酒ほど劇的な変化は感じなかつた。細かく云へば、すすどさが緩かになり、全体に落ち着いたかとは思へるが、その日の体調だの気分だので異なる程度の範囲でもある。VEILといふ銘柄の特徴か、甲州種ゆゑか、(白)葡萄酒だからなのかは今後、様々に呑み較べないと判らない。詰り一泊以上が求められることになる。こいつは大変だなあ。

 

 けふの予定ははつきりしてゐる。甲府驛を午后二時五十五分に發車する第卅四あずさ號に乗らねばならぬ。肩肘を張らなくても、東横インのチェックアウトは午前十時だから、今のところは悠然としてかまはない。階下のロビーで頴娃君と落ち合ひ、清算をしてから表に出た。ではこれより

 「参りますか」

 「参りませう」

甲府驛のコインロッカーに大きな荷物を預け、バス乗場まで歩いた。県立美術館行きに乗る。かう書くと、我が親愛なる讀者諸嬢諸氏から

 「そこは一昨日、足を運んでゐませんか」

と疑念を呈されるかも知れず、それは正しい。併し旅行中、同じ美術館に二度、足を運んではいけない理由はない。まして好きな絵がある美術館なら、余計にさういふものです。初日のタキシから見た空は重く曇り、雨粒が窓を彩つたが、けふは穏やかに晴れてゐる。車中で簡単に打合せた。お晝を食べ、甲府驛に戻る時間を見積つて、落ち合ふ目処を決め、そこまでは自由行動にしませうと話が纏つた。

 館に入る前に、公園の芝生の方に行つた。湿気の少い空だつたら、富士の御山が見えるのだが、それは残念だつた。館に戻らうかと思つたら、薔薇園の立て札があつた。行つてみたら、實に艶やかな薔薇が妍を競つてゐた。何枚か撮つた冩眞を後で見ると、その場で見たほど綺麗ではなかつた。がつかりした。

 芝を巡つてから館に入らうと歩いた。さうしたらウェディング・ドレスとタクシードのアベックと、二人を撮影する女性がゐた。仕事にしては持ちものが貧弱に映り、友人なら話し方笑ひ方が不自然な感じで、どちらなのかは判別できかねた。そんなことはどちらでも構はず、仲良くて幸せさうなアベックがちよいと妬ましくなつた。

 併し私にはお針子がゐる。隣のポーリーヌはあら貴方、また來たのと云ひたさうだつたが、カトリーヌは眠つてゐる。改めて観つめると、彼女の膝が

 (些かしだらなく、乱れてゐるらしい)

と気が附いた。彼女の雇ひ主であり、後に結婚相手ともなるミレーの観察眼のすすどさと云ふか、意地惡さと云ふか。もしかして絵を見たカトリーヌも

 「いやなところまで、描かないでよ」

くらゐは云つたかも知れず、ミレーはどう応じたらうと想像して、苦笑が洩れる思ひがした。

 それから無原罪のマリヤさまに会ふことにした。この絵のマリヤさまからは、何度見ても、母の印象を抱けない。教皇猊下の依頼で描いたのはいいが

 「ムシュー・ミレー、これはいけない」

と云はれたのも無理はない。宗教画に無知な私が見たつて、このマリヤさまの顔立ちや体つきは処女である。一方でよく見ると、その下腹部は微かに膨らんで…詰り妊娠初期…ゐるとも思へる。イエスさまが"神の子"なら、神さまがマリヤさまを寝取つたのだから、この絵に漂ふ未通女の感じは、寧ろミレーの理解の深さを示してはゐまいか。神と人のまぐはひはギリシアの神話だと珍しくもないし、かれはギリシア神話をモティーフにした絵を何枚も描いてもゐる。画家の發想としては、不自然とは云へない気がする。こんなことを書いたら、眞面目なクリスチャンは激怒するだらうが、私はクリスチャンではないし、このマリヤさまは、聖的かどうかは措いて、たいへん魅力的な女性として描かれてゐる。家に飾るのはどうだらうと考へ、聖性が強すぎる、お針子の方がぐつと好もしいと思ひなほした。この辺りが俗人と教皇猊下のちがひである。

 

 すつかり満足して美術館を出た。頴娃君も満足げな顔をしてゐる。かるい空腹なのもいい具合で

 「お晝は甲府の市街ですか」

さう訊いたら、いやいやと手を振りながら

 「この裏手にあるです」

と返事があつた。先刻の薔薇園を抜け、裏手に出ると、当り前の住宅地なので、妙な気分になつた。私には美術館の周辺に何があるのかといふ創造力が欠けてゐるらしい。

 十分か十五分か、歩いた。裏手と呼ぶには離れすぎではないかと思つた。尤もお店を撰ぶのを任せてゐる以上、やいやい云ふのは、礼を失する態度だから、そこは口を噤んだ。それで[藤義]の看板が見えてきた。蕎麦屋と聞いてゐたが、近寄ると、店の表にサワー三百円だの、鯵フライが自慢だの書いてあつて、蕎麦屋らしからぬ構へのやうに思はれた。

 中に入ると、四人掛けの卓が空いてゐたので、そこに坐つた。甲府驛に移動する時間を考へると、だらだら呑むわけにはゆかない。併し呑まないのも気に入らない。先づプレミアム・モルツと生揚げおろし豆腐を註文した。頴娃君はお酒を一ぱいと鴨焼きか何か。品書きを見るに、随分と賑かで、廻りのお客にも、蕎麦を嗜まうといふ雰囲気は感じられない。

 「何といふか、かう、ご近所の御食事処といふか」

 「ファミリー・レストランを兼ねてゐるやうですな」

昨日一昨日訪ねた[きり]も似た雰囲気だつた。甲府好みの店作りなのか知ら。たつた二軒でさうだと決めつけるのは短慮な態度だけれど。

 生揚げおろし豆腐が來た。思つてゐたより大きくて戸惑つた。戸惑ひながら摘んだら、見た目よりかろやかな仕立てだつた。豆腐の佳さと揚げの手立ての宜しきを得たものか。ただ麦酒にはやや不似合ひかも知れない。頴娃君が羨ましくなつて、お酒を頼まうかと考へ…さうしたら時間が足りなくなる。残念ながら諦めた。

 [藤義]は蕎麦屋である。ニューナンブは伝統的にもり蕎麦を重視するけれど、もりは[きり]で既に啜つてゐる。私にはもりを食べ較べる趣味はない。小聲で云ふと、かういふお店だと、種ものの方が安心ではないかとも考へて、とり南せいろを頼むことにした。頴娃君は伝統に忠實な男だから、もりを躊躇せず註文してゐた。

 そのとり南せいろが惡くなかつたのは云ふまでもない。蕎麦つゆに入つた鶏肉と葱と、蕎麦をどうあはせればいいか、お箸が惑つたのも正直なところだつた。頴娃君から後日

 「すりやあ貴君、鶏と葱は肴にするのが正しいのだよ」

と教はつた。何故その場で云はなかつたのだらう。云はれても、モルツは干してゐたから、諦めざるを得なかつた。頴娃君が蕎麦湯を嗜むのを待つてから、お店を出た。二千百円の値段は妥当だつたと思ふ。

 抜け目無い男の頴娃君は、[藤義]で勘定を済ませながら、タキシを呼んでゐた。訊くと十五分くらゐ掛かるといふ。お店の前に灰皿があつたから、一本吹かして、車を待つた。待つ内に手洗ひを使ひたくなつてきた。この際だから甲府驛で使はうと思つた。

 タキシに乗つたら、膀胱の詰る感じが強くなつてきた。だから降りて周章てて、手洗ひに走つた。下半身がかるくなつたので安心して時計を確めたら、あずさ號の發車時刻がちかい。 また周章てて[成城石井]に走り、ダルグナーのピルスナーと罐入り葡萄酒(シャルドネ)を買つた。罐入り葡萄酒は[まるき葡萄酒]謹製、ぎゅっとワインの代りである。頴娃君もお酒と摘みを買つたらしい。早足で甲府驛のプラットホームに行つたら、アナウンスが流れてゐた。

 「長野県内での何やらかにかで、あずさ卅四號は到着が約十九分、遅れる見込みです」

私がコメディアンなら、派手にずつこけるところだつた。まあこれで、慌ただしく乗り込まずに済んだと思へば(もつと早めに知らしてくれたら、ちよつとした買物にも余裕を持てたのにとも思ふけれど)、迷惑なだけではあるまい。

 我らが第卅四あずさ號は、アナウンスのとほり、十九分遅れで甲府驛に着到した。席は往路と同じく、通路を挟む形。余りのプラスチックのカップピルスナーを呑み、残つてゐたクリーム・チーズを摘んだ。やうやく微かな疲労が感じられてきた。窓の外は明るく、車内は静かである。暫くして、外が明るいままなのが不思議に思へてきた。更に暫くして、例年の"甲州制服襲學旅行"は、霜月下旬だつたと思ひ出した。すりやあ陽の落ちる早さがちがつて、当然である。

 (我ながら、にぶい)

をかしくなつた。色々とこちらが考へてゐるのも知らず、頴娃君は暢気な顔で冷酒を含んでゐる。眉根に皺を寄せるよりは、ましと云はうか。次のどんたくはいつ頃、何処を目指しませうとか、そんな話をしてゐる内、あずさ號は廿分余りの遅れで新宿驛に着到した。私は中央総武緩行線に、頴娃君は小田急に乗り継ぐから、プラットホームで次回を約し、解散した。"甲州制服襲學旅行"は帰宅するまで終らない。